2023年5月10日

カマボコ電車の午後

 ▲伊豆箱根鉄道モハ32 大雄山 1960-3

手元にある古い記録から、本日は木造車オンパレードだった時代の大雄山線です。
時は1960年、まだ院電OBが大勢を占めていた頃で、その殆どは大改造を受けて似ても似つかぬカマボコ型に変貌していました。

院電の仲間は総勢10両、いずれも明治末期から大正にかけて登場した電車草創期の一派で、モハ20形(旧院電デハ6280形)とモハ30形(同デハ6260形)に大別されます。いずれも大正末期から昭和初期に大雄山にお輿入れしていますから、この頃は既に在籍30年超のベテランになっていました。

▲大雄山 1960-3

10両のうち、唯一カマボコにならなかったのがモハ31+36編成。
トルペード型ベンチレータは流石に消えていますが、二重屋根にキャンバスを貼った以外は最も原型に近い美しい姿でした。結局これ以上改造されないまま、1965年頃に引退します。



モハ31の相方、モハ36。
車体表記はモハながら、モーターは外されています。こちらは緩いシングル屋根になっていました。

一方こちらはカマボコ車体になったモハ32と24。
1920年代の入線後から2・3等合造車にしたり荷物室を設置したりと改造を重ね、戦時中の改造時にこの姿になったと言われています。


▲いずれも大雄山 1960-3

小田原付近を行くクハ23+モハ45。
両車とも1959年に西武モハ231形の車体に載せ替えれました。

▲いずれも小田原-緑町 1956-4

西武モハ237車体に載せ替え後のクハ23。
相方のモハ45は元をただせば伊那電デ200形で、1954年に国鉄を経てやって来ました。こちらも同時期に西武モハ236の車体を貰い、これが奏功して74年まで生き残りました。
▲大雄山 1960-3

▲小田原 撮影日不明

超個性的な姿で戦後を生き抜いた彼らは、モハ45+クハ23コンビを除きいずれも1960年代半ばまでに次々に消えていきました。そしてこの後、駿豆線からの転入組も合わせ17m国電全盛時代がやって来ます。

さて最後に、Wikiからの借り物ですがカマボコ電車の来歴を示しておきましょう。

【モハ20形】
鉄道院デハ6281 → 駿豆鉄道モハ21 → クハ21
鉄道院デハ6282 → 駿豆鉄道モハ22 → クハ22
鉄道院デハ6283 → 駿豆鉄道モハ23 → クハ23(西武モハ237の車体へ載せ替え)

【モハ30形】
鉄道院デハ6269 → 目黒蒲田電鉄デハ31 → 駿豆鉄道モハ31
鉄道院デハ6270 → 目黒蒲田電鉄デハ32 → 駿豆鉄道モハ32
鉄道院デハ6271 → 目黒蒲田電鉄デハ33 → 駿豆鉄道モハ33
鉄道院デハ6272 → 目黒蒲田電鉄デハ34 → 駿豆鉄道モハ34
鉄道院デハ6275 → 目黒蒲田電鉄デハ36 → 駿豆鉄道モハ35 → クハ24
鉄道院デハ6277 → 目黒蒲田電鉄デハ37 → 駿豆鉄道モハ36→クハ化
鉄道院デハ6278 → 目黒蒲田電鉄デハ38 → 駿豆鉄道モハ37


▲大雄山 1960-3

5 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2023年5月11日 12:55

    私が訪問したのは1966年1月で、33の編成と45-23の編成を撮影しています。塗色は西武の赤電色になっていました。五百羅漢にダブルルーフの車体が転がっていたから、モハ31のなれの果てだったのですね。

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  2. モハメイドペーパーさん

    1966年でまだ木造編成が残っていたのですね。
    木造車体に西武カラーはバアサマの厚化粧のようですが、個人的にはグリーン+クリームより好みです。五百羅漢のダルマさんは現在保線支区が建っている辺りに鎮座していたのでしょうか。

    木造天国だったのが17M国電と社型でほぼ統一されたのが「第一の波」とすれば昇圧に伴うメンバー変動が「第二の波」、5000系登場が「第三の波」といった所でしょうか。せめて第二の波の時代に間に合いたかったです。

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  3. 明治末の院電は、前面が円形の優美なスタイルだったのが、大正中期に鉄道省標準型に改造。駿豆鉄道譲渡後は戦時中にカマボコ型に再改造ですか。貴重な経歴も、車体は側面まで一新で、実用本位のスタイルに変身したが、割と丁寧に整備されていた様子ですね。1960年代になっても、大雄山線は明治生まれの木造電車が多数活躍していたのは驚きです。

    緑町の急カーブを、17m国電がきつそうに走っていましたが、木造車はもっと車体を揺らしていたかもしれないですね。

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  4. 匿名になっていました。

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  5. 緑の猫さん

    最古の院電の保存例はナデ6110で明治製は皆無。
    前面が優雅なスタイルが古い写真でしかお眼にかかれないのは何とも残念で、蒸機ばかりでなくこちらも1両くらいは残して欲しかったですね。

    大雄山線は急カーブに加え駅間も短いですから、スピードも出せず国鉄OBにとっては役不足だったでしょうね。

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