2023年7月8日

ホワイトアウト・ロードの旅

▲深名線キハ22303 名寄 1982-3

貧乏旅に奔走した学生時代、ワイド周遊券と夜行列車は必須アイテムでした。
この二つをフル活用して、少しでも安くかつ少しでも長期間粘り、いかに多くの収穫物を得るか・・・これらを満たす旅程を組むのも楽しみの一つでした。

中でも北海道は周遊券と夜行列車を最大限に活用でき、まさに貧乏学生の味方。
冬季は学割に加えて更に閑散期割引も利きますから、これは利用しないテはありません。
▲客レ王国だった北海道 札幌 1982-3 

1982年の早春、この時は在籍していた大学鉄研の合宿地に向かう折、メンバーと集合離散を繰り返しながら、1日数本しかない超ローカル線をメインにあちこち乗り回していました。

その道すがら、深名線の初乗車は深川発15:48。
まだ陽は高いものの、1日4本しかない名寄行の最終に接続する列車でした。

▲いずれも深川 1982-3

深名線沿線は有数の豪雪地帯で、進むにつれぐんぐん雪深くなっていきます。
3メートル近い壁のような積雪は吸音効果があるのでしょう、時折エンジンが小さく唸る以外は不気味なほどの静寂が続きました。

雪以外は何も見えない単調な車窓が続いたかと思うと、交換駅の鷹泊に停車。
しかし10分経ち、20分、30分経っても動く気配がありません。駅員さんが慌しく走り回ったり運転士と何やら話し込んだり・・・どうやら対向の深川行が遅れているようでした。



▲いずれも鷹泊 1982-3

ようやく深川行が到着、せわしくタブレットを交換して直ぐに発車です。
辺りは薄暗くなってくるし、このままストップしたらどうしようという我々の不安をよそに、こちらも結局1時間近く遅れて発車。これで名寄行に乗り継げなかったら、朱鞠内で足止めを食うことになってしまいます。




▲いずれも鷹泊 1982-3

豪雪地帯の本丸、幌加内に着く頃にはすっかり暗くなっていました。
列車は時折スピードを上げながら、何事もなかったかのように恬淡と走り続けます。

少なくとも朱鞠内までは辿り着けるでしょう。
しかし沿線に泊まれそうなところはないし、いざとなったら駅員さんに頼み込んで「駅寝」を決め込むしかない、まさか追い出されることはないだろう・・・と覚悟を決めました。


▲幌加内 1982-3

何とか無事に終点・朱鞠内に到着。
しかし、対向ホームで待っている筈の名寄行最終列車がいません。

一人勤務の駅長さんに聞いてみると、「あちらも遅れている、しばらく来ないから待合室へどうぞ」との事。全身脱力状態になりながら、これまでの顛末を矢継ぎ早に話すと「名寄行は必ず接続するから置いてきぼりを食うことはない、それに雪で運休になることは北海道では滅多にないですよ」、と笑いながら答えてくれました。

待合室のストーブに手をかざし、入場券を所望したり昼飯のパンの残りを頬張ったり、人通りのと途絶えた駅前通りを徘徊したりするうち、漸く生気を取り戻してきました。
▲朱鞠内 1982-3

朱鞠内を発車した最終列車は、漆黒の雪原を音もなく走り続けます。
全ての不安が氷解し、駅長さんとのやり取りを安堵に満ちた面持ちで反芻しているうち、20時過ぎ、名寄の0番線ホームに着きました。

駅前通りは殆どがシャッターを下ろしてしまい、どうやって空腹を満たしたのか記憶にありませんが、恐らく閉店間際のよろず屋で何かしら仕入れたのでしょう。

この日宿を取ったのは、駅からほど近いビジネスホテル。
ホテルとは名ばかりの、二段ベッドが並ぶ簡易宿舎の趣でしたが、1泊2,500円ですから文句は言えませんでした。



▲いずれも名寄 1982-3

翌日は美幸線の一番列車を皮切りに、ローカル線詣でを再開。
北の鉄路は強く、最後まで雪で運休することはありませんでした。




▲いずれも美深 1982-3

4 件のコメント:

  1. ティーレマン・ファン2023年7月10日 17:57

    私も厳冬期の北海道に行き、名寄駅前の格安旅館に泊まった記憶があります、同じところですかね?14系寝台車と座席車を連ねた急行『天北』乗車中に、猛吹雪に遭い抑止した時は車内にいたにも関わらず恐怖でした、、、やはり北海道の自然環境は凄まじいですよね。

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  2. ティーレマン・ファンさん

    当時、名寄駅近くには「普通の」ビジネスホテルがなく、ガイド本でようやく探し当てたのが「ビジネスホテル・つる」でした。恐らく同じ宿だったのでしょうね。
    あちこちで吹雪に見舞われましたが一度もストップすることはなく、10cm積もってすぐ止まる首都圏との違いを見せ付けられました。

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  3. こんばんは。
    深名線の途中駅で放り出されたらと不安になる気持ち、よく分かります。
    そして、雪で止まることはない、の一言に、厳しい冬であっても鉄道を走らせている職員さんとしてのプライドのようなものを感じます。
    安全やリスクに対する考えも変わった今、予防的に運休を決めることも多くなっている印象ですが、鉄道の強さそのものは変わらずに健在なのだと思います。
    真冬の豪雪の中、列車を走らせ続けるノウハウと使命感、ローカル線の小さな駅にも根付いていたようですね。
    楽しく拝見させて頂きました。

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    1. 風旅記さん

      今回も有難うございます。
      当時の国鉄、特に北海道のそれは滅多なことでは止めないプライドというか意地のようなものがあった気がします。当時は小さな駅にも駅員さんがいて、入場券を所望したり「どこから来たの」と話しかけられたり、と生きたやり取りがありました。

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