さて、村松からの特急バスは夕刻の新潟に到着。
このまま市内の安宿にしけ込むのも勿体なく、こちらの駅まで往復します。
委託駅長は朝しかいないし、通学生もみんな帰ってしまったのでしょう、大きい駅舎はガランとして誰もいませんでした。ホーム端で寒風に耐えながら待っていると、殆ど空気を運んでいるだけの月潟行、続いて東関屋行がやって来ました。
▲いずれも木場 1999-1
明けて翌朝、暗いうちから月潟へ。
しばらく線路際を歩き、先ずはこちらで露払いです。昨晩からの雪は止み、風も吹いていませんでした。
▲曲-月潟 1999-1
夜も明けやらぬうちから行動を開始した目的は、この2連。
平日朝のたった2往復、しかも1往復は白根止まりですから、これは外せません。かつて多くの仲間がいたクハ45形ですが、1993年の部分廃止後はこの46だけが孤塁を保ちました。
最優先課題は呆気なく眼前を通過。
次列車が来る頃になって、ようやく低い陽が差してきました。
▲いずれも曲-月潟 1999-1
月潟へ戻ります。
▲いずれも月潟 1999-1
次は白根へ。
当駅止まりのクハ46を待ち構えます。
到着するや直ちに入換えを開始。
あっという間に本日の任務が終了、このまま側線で昼寝モードに入ります。
▲いずれも白根 1999-1
中之口川に律儀に並行する沿線ですから、風景はどこも単調で写真的には今一つ。今回は板井で初めて降りてみました。
▲板井-七穂 1999-1
しばらく辺りを徘徊。
朝方の雪もほとんどが消え、寒風に吹かれた昨晩とは打って変わって、この時期らしからぬ暖かさでした。
▲いずれも板井-七穂 1999-1
板井駅。
中之口川の堤防にへばり付くような小駅でした。
▲板井 1999-1
最後はこちらの駅で締めました。
▲いずれも越後大野 1999-1
何度か通った新潟交通線も、こうして最終回を迎えました。
管理人にとって私鉄行脚の原点ともいうべき「とってつ」こと越後交通栃尾線を始め、同長岡線に頚城鉄道、そして今回の2路線・・・ついに県内から旅客営業を行う私鉄が消えることになりました。