キハ20に35にDD51。
国鉄時代の八高線は余りにもありふれた顔触れで、ついぞ足が向きませんでした。
フィルムをひっくり返してみると、上信越線の特急や上信電鉄のついでに高崎駅でスナップしたカットが残っているくらいで、腰を入れて撮り回ったことはゼロ。
▲70年代はバラエティも豊かでした 上:1977-8 下:1973-7 いずれも高崎
しかし、JRになり奇抜な装束のキハが各地に跳梁し始めると、国鉄色のまま地味に走っていた彼らが気になり始めます。折りしも高崎口にキハ110形が登場し、高麗川以南電化の話も出始めていましたから、これはもう放置できないとやっと重い腰を上げることにしました。
たまたま雑誌でDD51貨物の記事を瞥見し、碌に下調べもせずに折原で下車。炎暑の下、ここから線路際をてくてくと歩きます。
▲いずれも折原-竹沢 1994-8
咽返るような草いきれの中、本日のメインがやって来ました。
カメラをモノクロに持ち替えて流してみます。
一大勢力を誇ったこのホキ、改めて見ると個性的なスタイルで甲虫(カナブンやコガネムシ)を連想してしまいました。
同じ場所でキハも押さえます。
この頃は既にキハ35オンリーではなく、改造車・キハ38と組むことが多くなっていました。
本日のラスト。
重連であることが何とか分かるギリギリのアングルで押さえます。
▲いずれも折原-竹沢 1994-8
まだ陽は高いですが、酷暑もそろそろ限界、帰途に就きます。
▲折原 1994-8
帰途の車窓からこれが見えたので慌てて下車。
右隣はマロネ40改造のオヤ41のようで、どうやら「碓氷鉄道文化むら」での保存に向けて一時的に留置されているようでした。
▲新前橋 1994-8
やはり私鉄ローカルに比べて力が入らなかったのか、結局これがキハ35時代最後の訪問になりました。乗る縁もなくあれから幾星霜、折原あたりの山深い風景は変わっていないでしょうか。
▲群馬藤岡 1994-8
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