2023年9月6日

春遠い嵯峨野


▲京福電鉄モボ102 三条口 1971-2

手元の古い記録から、前回の叡電に続きポール時代の嵐電をアップしてみます。
時は1971年冬、嵐電スタイルともいうべきモボ101・111・121形が全車とも元気な姿で走っていました。

1975年のZパンタ化に併せ、101形6両がお馴染みの全金車体に載せ替えられて一新。
80年代に入ると他のメンバーにも波及し、新形式に機器を譲り徐々に戦線離脱していきました。



▲1枚目:嵯峨駅前 他:撮影場所不明 1971-2

絶滅した車内風景。
老若男女一様に頭を垂れ、手元の小さな機械に没入するようになるのは、この30年後くらいからでしょうか。青筋を立てながら情報過多に支配され、車窓から四季の変化を感じ取ることもなくなりました。みんな何がそんなに忙しいのでしょう。


鹿王院駅風景。
京都の厳しい冬を象徴するかのように、乗客らも厚く着込んでいます。


▲いずれも鹿王院 1971-2

これは太秦駅でしょうか。
他のカットも含め、撮影場所がお分かりになる方がいましたらご教示を。
▲三条口 1971-2

三条口(現:西大路三条)。
冒頭の一枚と共に、今回最も「刺さった」カットです。
▲いずれも三条口 1971-2

モボ126の車内。
凛々しかった職員の詰襟制服姿も、1980年代から平凡なスーツに変わりました。




更新されつつ長命を保ってきたモボ101形も、いよいよ来年度にデビューする「KYOTRAM」と交代する形で引退することが決まりました。

ネットで完成イメージを瞥見すると、最近のデンシャにありがちなうーむなデザイン。しかし中小私鉄の完全な新車ですから、待ち遠しくはあります。
▲鹿王院 1971-2

4 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2023年9月6日 20:45

    場所不明のコマ、カーブにかかっているのは天神川~蚕ノ社あたりかな。太秦?のカット、そうだとしたら広隆寺の山門が見えるのではと思うし、向かい合って四条大宮行きのホームもあるはずではないでしょうか。

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  2. モハメイドペーパーさん

    情報ありがとうございます。
    太秦と書いたカット、時代が違うとはいえ広隆寺が移転する訳がないので、確かに違いますね。路面に出る駅は大方分かっていたつもりでしたが、今回でそんな自信は見事玉砕してしまいました。

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  3. ゴハチ信者2023年9月10日 14:50

    初めてコメントいたします。
    最初から及び最後から2番目の撮影場所はいずれも嵯峨駅前(現:嵐電嵯峨)です。
    最後から2番目は嵯峨駅前駅に停車直前に車内から撮影されたもので、その後、ここで下車して最初から2番目を撮影されたことがわかります。

    最後から5番目の撮影場所は太秦ではなく、三条口(現:西大路三条)です。

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  4. ゴハチ信者さん

    訪問及び補足説明ありがとうございます。
    ネットなどを見ても場所が分からず、考えあぐねていました。嵐電は何度か訪問しているのに、やはり背景の変化が著しかったのでしょうか、当時のフィルムを見返しても特定できませんでした。

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