2023年10月7日

食パン電車の午後 その1



 ▲日立電鉄モハ13・モハ14 大甕 1980-11

元神中のディーゼル改造電車を始め、小田急に宇部に南海と多彩なメンバーに加えて何やら曰くあり気な新造車。日立電鉄は路線長18㎞の割にぞろぞろと個性派が揃い、この「クセ強さ」に惹かれた方も多いことでしょう。

管理人の初訪問は1973年秋、まだカメラを持ち始めて間もない鉄道少年時代でした。
中小私鉄の雑誌記事はほとんどお目にかかれず、情報がない中での初対面はえらく衝撃的だったのを憶えています。その印象が後を引いたのか、それ以来何度か出向くことになりました。

▲大橋-川中子 1986-8

1980年秋、早朝の上野から乗り込んだのは仙台行の客レ。
この頃、常磐線には遠距離の客レが多く設定されており、ちょっとした遠出でも気軽に旅の気分を味わうことができました。

日立は初訪問だという鉄研仲間と共に、一路大甕へ。
主要駅でたんまりと時間調整をしながら水戸に到着、ここで先頭が交代です。


▲いずれも水戸 1980-11

やっとのことで大甕着、日立のデンシャとは7年ぶりの対面です。
先ずは常磐線ホームから本日の出動メンバーを抑えることにしました。

▲大甕 1980-11

先ずは何を置いても、当線の象徴的存在であるモハ13形です。
ルーツは日本初の電気式ディーゼルカーにして、独特の台形車体という出で立ちの神中キハ1000形。1965年に食パン形に変わりましたが、それを差し引いても依然個性的なスタイルです。

70年代半ばから窓下が黄色からオレンジになり、前照灯がシールドビーム1灯化(その後更にブタ鼻化)されたり、前面窓も桟がなくなったと思いきや間もなくサッシ化(その後更にHゴム化)されたりと、短期間に小変化を繰り返していきました。


▲いずれも大甕 1980-11

こちらは7年前、初訪問時のスナップ。
前照灯や前面窓が更新された以外は変わっていないようです。
▲大甕 1973-11

戦後間もなく登場した、「営団地下鉄の注文流れ」という曰く付きのモハ11形。
しかし「終戦直後の極端な車両不足の時代に、粗製を理由にキャンセルするハズがない」という興味深い論考がRMライブラリーNo.64に書かれています。

▲いずれも大甕 1980-11

1973年訪問時のモハ12。諸処改造されて、上のカットとは別物に見えます。


▲大甕 1973-11

モハ1000形は小田急電車の祖・元モハ1形。
当初6両だったのが、その後相鉄モニ改造車が仲間に加わり、総勢10両の大所帯になりました。更新時期に応じて外観がバラエティ豊かなのも魅力でした。




時折常磐線ホームに姿を見せる客レも見逃せません。


▲いずれも大甕 1980-11

戦中にデビューしたモハ9形は、9・10の2両が在籍。
晩年はウインドシル・ヘッダーが消失したり全ての前面窓がHゴムに覆われたりして、似ても似つかぬ姿になりました。

▲いずれも鮎川 1980-11

・・・とここで枚数を稼いでしまいました。
次回に続きます。
▲常北太田 1980-11

2 件のコメント:

  1. 台形を食パンに整形したり、営団注文流れ車のドア移設行ったりと意外にも工作力の高さうかがえるところあります。
    日立製作所の関連会社も多く存在したと思われますので、木工も技術応援得る事できたのかもしれませんね。

    返信削除
  2. 12号線さん

    営団車は注文流れではなく日立の影響力で融通して貰った、という説もありますし(記事中のRMライブラリー)、モハ9形なども戦時製にしてはしっかりした作りでしたから、同社の技術支援や助言などもあったのでしょうね。
    食パンや宇部車も、一気ではなく少しずつ更新していったあたり、基礎力というか工作に自信があったことを窺わせます。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。