▲小田急電鉄デハ2221 藤沢 1980-12
思いついたときにフラリと出かけられる場所、最近は絶滅危惧種です。
写欲をそそられるようなデンシャは運用や撮影地をネットで調べ、朝早くに出発しないと到底無理。根っから出不精に拍車がかかっている管理人としては、カメラを持つ機会はめっぽう少なくなりました。
田舎高校を出て上京した1980年代、力を抜いて「ついで」に撮れるモノは山のようにあったハズ、しかし当然のように転がっている風景はいつの世でも疎かにしがちなもの。改めて考えると、目的地よりもそこに向かう途中で出くわすデンシャや駅風景の方が遥かに絵になっていたと思い知らされます。
・・・という訳で、本日はフィルムの狭間に写っていたコマの落穂拾いをしてみました。
▲西武線もバラエティ豊か 1980-12
先ずはこちら、東急世田谷線。
重たいカメラをいつも持ち歩いていた訳ではありませんが、出掛けの駄賃によく撮影していました。ちょうど70形の更新が終わる頃で、このデハ74を最後に全車張り上げ屋根になりました。その後ライトが腰に下がり、似ても似つかぬ姿になってしまいます。
この日は世田谷線を2、3列車で切り上げて新宿に向かったようで、恐らくヨドバシカメラでも覗きに行ったのでしょう。
▲豪徳寺 1980-12
こちらは京王線。
引退の足音が聞こえてきたグリーン車こと2000系一派を見に行ったようです。当時の主役だった6000系はロクな記録がなく、未だに後悔しています。
地下鉄各線も、撮り逃したと臍を噛む路線の一つでした。
▲いずれも笹塚 1980-12
こちらは、江ノ電のタンコロこと100形目当てに出かけた折のスナップ。
▲いずれも六会 1980-12
藤沢から少し歩いた場所で。吊掛け車は流石に力が入っています。
▲藤沢-本鵠沼 1980-12
西武線は中学・高校時代に最も縁遠かった路線。
池袋線・新宿線とも鉄研の友人にそれぞれの「マスター」がいましたから、彼らの尻についてよく撮り回っていました。この辺りも、今は埼京線が飛ばすようになり風景が一変しています。
▲いずれも西武新宿-高田馬場 1980-12
▲いずれも新大久保 1980-12
一方の国鉄線、「思いつき」で行っていたトップは鶴見線でした。
よく鉄研メンバーで「午後の講義が休みだから、大川に行こう」という流れになり、多彩な電機がいた東海道貨物線と掛け持ちをしながら、夕方まで粘りました。
▲いずれも武蔵白石-大川 1980-12
同じフィルムのスナップをもう少し。
大目玉の115系もいた中央線ローカル、貨物は茶色い機関車ばかり。今考えれば右を見ても左を見ても「ついで」というには勿体ないデンシャばかりでした。
▲新宿 1980-12
▲原宿 1980-12
では、現在眼前にある「当たり前の風景」を記録しておきたいかというと、逡巡します。
うーむなデザインの車両に人のいない窓口、無表情に改札機を「ピッ」と通り抜けると、ホームはごついドアに視界を遮られ、そして乗客は皆手元のちっぽけな端末ばかり見ている。しかし、何十年か後にはそれらも懐かしい風景になるのでしょう。
20XX年、首都圏全駅の無人化が完了し、駅務は全てAIが制御する「ステーション・ネット」の監視下に置かれた。全国民にマイクロチップ埋設が義務化されたから、もう切符やICカードは必要ないし、改札機も姿を消した。
無人の電車が音もなくホームに滑り込むと同時に無機質な案内放送が流れるが、スピーカーからではなく超音波を用いた骨伝導システムだ。乗客らが手元の端末に夢中になっている姿は昔ながらで、少しほっとする。
いや待て、皆何か表情が変だ。目の前に座るスーツ姿の男は人間か、それともアンドロイド・ワーカーか。