2024年5月31日

大阪の昭和デンシャを追う その7


▲南海電鉄モハ6001ほか 天見-紀見峠 2024-4

この3年ほどは大阪の私鉄詣でにハマっています。
地方の田舎デンシャを求めて全国を放浪していた80-90年代、大阪には何度立ち寄ったか分かりませんが、いずれも足場にした程度。腰を入れて向き合ったのは近鉄や阪急、京阪の支線くらいで、本線の主役たちは「新性能車」として見向きもしない時期が長く続きました。

ここへきて大阪詣でが急加速しているのはそうした彼らへの懺悔もありますが、勘所の第一は関東で絶滅危惧種になった昭和製電車がまだまだ第一線で飛ばしていることでしょうか。

そしてもう一つは、これも関東とは規模や空気感がケタ違いの商店街。
これまでも撮影の合間に知らない街を歩き回ったり商店街巡りをしてはいましたが、大阪通いを続けるうちに拍車がかかってきました。

▲近場のスナップも増えました 上:横浜市磯子区 下:川崎市幸区 2024-3

さて、今回の大阪詣でのスタートは京阪電車。
昇圧前の1981年春以来ですから、実に43年振りです。6000系以降とマトモに対峙するのはこれが初めてで、グリーン濃淡時代に記録したかったところです。




▲いずれも野江 2024-4

カーブが強調できる場所を探してしばし徘徊。
スーパーカーこと2000系の後継として登場した2600系も数を減らしており、中々来てくれません。4代目となるテレビカーも、登場から早30年超になるのですね。


▲上:西三荘 中・下 いずれも大和田 2024-4

さて、この日のもう一つの目的は、萱島駅からほど近いこちらの商店街。
ぐるぐるマップを見ながら歩いていると、住宅地の中に突如として現れました。

商店街の紹介本などで事前に仕入れた情報とは違い、天井一面を覆っていた万国旗はほとんどが姿を消し、開いている店も3軒ほど。静寂ばかりが支配し、建物の崩落も進んでいるようでした。


▲いずれも京阪トップ商店街 2024-4

京阪トップ商店街から枝分かれする萱島銀座商店街。
こちらは完全に役目を終え、時折自転車に乗ったおばちゃんが通り過ぎるだけでした。

▲萱島銀座商店街 2024-4

午後からは南海電車を回ります。
この日は結構な頻度で6000系がやって来ますが、最優先課題の6001編成はなかなか顔を見せてくれません。
▲上:帝塚山-住吉東 下:住吉東 いずれも2024-4

近くまで来ましたので、と阪堺線も表敬訪問。
機を見ては「南海アプリ」でモ161形のお出ましを待ち構えてはいるものの、この日もスカでした。
▲神ノ木 2024-4

続いては浅香山駅の先端から。
南海電車は人気らしく、いつ訪れても同業者に会います。たまたまでしょうが、毎回「6000系葬式鉄」ではなく「南海電車が好きで来ている」との言を得るばかりで、妙な安心感があります。

▲我孫子前-浅香山 2024-4

6001編成を狙うべくしばらく粘りました。
電車は頻繁にやって来るし、自分より40も若い同業者とデンシャ談義をしながら構えていたので全く退屈はしませんでした。

泉北高速の電車、特に3000系は見かけるたびに記録するようにしていますが、社名が消滅した後はどう変貌するのか気になるところです。


▲いずれも浅香山 2024-4

夕刻まで粘るも、結局6001編成はお休みのようでついに現れませんでした。最後は岸里玉出に近い踏切に陣取ります。







ここからは玉出変電所が望めました。
1911年竣工の赤レンガ建屋は未だに現役です。早暁から歩きっぱなしでヘトヘトでしたから安直に望遠レンズで引き寄せて終了でしたが、周回してマトモに写しておけば良かった。
▲いずれも岸里玉出-帝塚山 2024-4

これにて初日は終了、初夏のような陽気に汗まみれになりながら、北浜にある安宿に向かいました。
・・・次回に続きます。

▲大和田 2024-4

2024年5月25日

お知らせ~写真展が開催されます


本日はお知らせ&宣伝です。

来る6月6日(木)~6月11日(火)、5回目を迎えた下記写真展が本年も池袋の「ギャラリー 路草」にて開催されます。今回は管理人も2点ながら出品する運びとなりました。

総勢31名、全59点。

駅や駅近で安直に撮る管理人の作風とは違い、多種多様な力作揃いで見応え充分かと思います。




池袋駅西武口から徒歩6分、お近くへお越しの際は是非お立ち寄り下さい!!


2024年5月18日

早春の塩田平

▲上田交通モハ5253 下之郷-中塩田 1981-3

1980年代初頭は旧型国電の淘汰が急加速した時期で、仙石線・身延線・大糸線・宇部線・福塩線・小野田線・可部線・・・と世代交代が一気に進んだ、まさに「国電端境期」。
時同じくして旧型電機も終末期に差し掛かっており、当時のファンはこの両者を追いかけるのに東奔西走、小遣いとエネルギーを使い果たした方も多いでしょう。

ご他聞に漏れず、管理人も周遊券を駆使してあちこちに出没。
1981年の早春、期末試験も終わって解放感この上ない貧乏学生は、「信州ワイド周遊券」片手に身延線や大糸線を撮り回っていました。宿に泊まる資金もなかったですから、夜行急行で折り返しワザを連日強行しながらの野性味溢れる撮影行でした。



▲いずれも安曇沓掛-信濃常盤 1981-3

しかし、ローカル私鉄訪問ももちろん忘れた訳ではありません。
旧型国電詣での合間、長電や松本電鉄などどれにしようか迷いましたが、やはり優先度が高いのは別所線です。小学生時代から都合3度目の訪問で、上田原以遠まで乗車するのは今回が初めてでした。

▲いずれも上田 1981-3

先ずは車庫を覗きます。
前回はいなかった長電からのお輿入れ車もいました。モハ604はこの後モハ5271に生まれ変わります。

▲いずれも上田原 1981-3

1986年の昇圧まで残った廃車体。
信濃鉄道出自のクハ261(初代)は工作室に使われていましたが、中にはどんな道具が置いてあったのでしょうか。元善光寺白馬電鉄のモハ3121の車内には、廃線になった丸子線や真田傍陽線の記念品や切符類が保管されていたようですが、今だったらナラズ者に根こそぎ持ち去られてしまいそうですね。


▲いずれも上田原 1981-3

車庫を辞した後は沿線撮影に転戦。
車窓から見えた下之郷-中塩田の風景で即決、慌てて下車します。
▲中塩田 1981-3

下之郷に向かって線路際を歩きながら、のんびり撮り歩きます。本日の単行当番はモハ5253と長電OBの5261。大糸線と違って同業者に会うこともありませんでした。



▲いずれも下之郷-中塩田 1981-3

別所温泉駅。
元東急のサハ62がポツンと置かれていました。


▲別所温泉 1981-3

線路際をてくてく歩いていると高台に道路標識が見え、ならばあそこから狙える筈と昇ってみました。今はこの辺りも住宅が建て込んで眺望が利かなくなっています。


▲いずれも八木沢-別所温泉 1981-3

この時のルートは東京発の「大垣夜行」を富士で降り、身延線→大糸線2日間→別所線→大糸線→身延線→富士から東海道線経由で帰京という強行軍。

宿には一泊もせず、日が暮れると周遊エリアの路線を乗り回し、あとは翌朝まで夜行急行「アルプス」「きそ」「信州」での折り返しで時間を潰すという、狂気の沙汰としか言いようのない旅程でした。

もとより周遊エリアの狭い信州ワイド周遊券では夜行に乗ったと思いきや、落ち着いく間もなく折り返し駅に着いてしまい、寒風に晒されながら延々と逆方向の列車を待たなければなりませんでした。

▲上田原 1981-3


▲北松本 1981-3

2024年5月9日

鉄道少年のガラクタ写真箱

▲ナハネフ22「富士」 品川 1974-8

カメラを持ち始めて間もない1973-74年頃のフィルムをひっくり返してみると、車両が切れていたりやたら小さかったり、はたまたひどく露出アンダーだったりと碌なコマがありません。プリントして手元に残したのは1本当たりせいぜい10枚といったところでしょうか。

フィルムの山を全部データに残す、という地味でツマラン作業を思い立って早10年。
果たして生きているうちに果たせるかは甚だ疑問ながら、気に入ったコマだけでなく「1本まるごとデータ化」というスタンスだけは不変です。本命の1枚よりも、その前後のコマの方が案外良かったりするせいですが、「1本まるごと・・・」は銀塩時代にスルーしていた失敗作を改めて見直す機会にもなりました。

・・・という訳で、今回はそうした「かつてのボツ作品」を集めてみました。
▲京成電鉄3200形 日暮里 1974-1

鉄道に初めてカメラを向けてから3ヶ月、どうしても東京のデンシャが見たくなり同級生らと徒党を組んで出かけたのは小学生時代。主目的は特急列車でしたが、もちろん国電も押さえています。


▲上:上野 下:東京 いずれも1973-9

初めて見た20系特急は「あさかぜ」。
ブルトレは当時から人気の的で、祝日のこの日もコンパクトカメラを携えた鉄道少年に囲まれていました。管理人もとにかく近くに寄りたくて、車体が切れようが構うことなくシャッターを切りました。


横須賀線は地上時代で、まだ非冷房車が多数派を占めていました。
▲いずれも東京 1973-9

午前のブルトレが一段落すると、山手線に乗りながら各駅を発着する電車を見て回るのが定番です。この日は車窓から茶色い電機が見え、慌てて品川で下車。東京口で最後の活躍をする80系も顔を見せました。





▲いずれも品川 1974-5

山手線ホームからのいつもの風景。
高架には京急デハ600形が見えます。毎朝ここからタメ息をつきながら仕事に向かった方も多いでしょう。



▲いずれも品川 1974-1

同級生が写っていたり、雑多な構造物に埋もれていたり、車体が切れていたり。
どれも記録写真としては失格ですが、今となっては記憶の彼方に残るだけの、懐かしい風景になりました。


▲上:渋谷 1974-5 中:新宿 1974-1 下:1973-9 新宿

・・・以上でオシマイです。お粗末様でした。

フィルムの狭間に埋もれた、永久に光が当たらなかったかも知れない失敗作。
「列車が小さい」「斜めすぎ」「乗客や同業者ばかり写り込んでいる」。撮影当時は見向きもしなかったこうしたコマ達も、今の視点で見直してみれば再発見があるかも知れません。もう一度、昔のフィルムやアルバムから記憶をひっくり返してみるのも一興ではないでしょうか。



▲高崎の失敗スナップにも光を当てました いずれも1973-7

▲構内が広かった熊谷にも 1974-3