▲南海電鉄モハ6001ほか 天見-紀見峠 2024-4
この3年ほどは大阪の私鉄詣でにハマっています。
地方の田舎デンシャを求めて全国を放浪していた80-90年代、大阪には何度立ち寄ったか分かりませんが、いずれも足場にした程度。腰を入れて向き合ったのは近鉄や阪急、京阪の支線くらいで、本線の主役たちは「新性能車」として見向きもしない時期が長く続きました。
ここへきて大阪詣でが急加速しているのはそうした彼らへの懺悔もありますが、勘所の第一は関東で絶滅危惧種になった昭和製電車がまだまだ第一線で飛ばしていることでしょうか。
そしてもう一つは、これも関東とは規模や空気感がケタ違いの商店街。
これまでも撮影の合間に知らない街を歩き回ったり商店街巡りをしてはいましたが、大阪通いを続けるうちに拍車がかかってきました。
さて、今回の大阪詣でのスタートは京阪電車。
昇圧前の1981年春以来ですから、実に43年振りです。6000系以降とマトモに対峙するのはこれが初めてで、グリーン濃淡時代に記録したかったところです。
▲いずれも野江 2024-4
カーブが強調できる場所を探してしばし徘徊。
スーパーカーこと2000系の後継として登場した2600系も数を減らしており、中々来てくれません。4代目となるテレビカーも、登場から早30年超になるのですね。
さて、この日のもう一つの目的は、萱島駅からほど近いこちらの商店街。
ぐるぐるマップを見ながら歩いていると、住宅地の中に突如として現れました。
商店街の紹介本などで事前に仕入れた情報とは違い、天井一面を覆っていた万国旗はほとんどが姿を消し、開いている店も3軒ほど。静寂ばかりが支配し、建物の崩落も進んでいるようでした。
▲いずれも京阪トップ商店街 2024-4
京阪トップ商店街から枝分かれする萱島銀座商店街。
こちらは完全に役目を終え、時折自転車に乗ったおばちゃんが通り過ぎるだけでした。
▲萱島銀座商店街 2024-4
午後からは南海電車を回ります。
この日は結構な頻度で6000系がやって来ますが、最優先課題の6001編成はなかなか顔を見せてくれません。
▲上:帝塚山-住吉東 下:住吉東 いずれも2024-4
近くまで来ましたので、と阪堺線も表敬訪問。
▲神ノ木 2024-4
続いては浅香山駅の先端から。
南海電車は人気らしく、いつ訪れても同業者に会います。たまたまでしょうが、毎回「6000系葬式鉄」ではなく「南海電車が好きで来ている」との言を得るばかりで、妙な安心感があります。
6001編成を狙うべくしばらく粘りました。
電車は頻繁にやって来るし、自分より40も若い同業者とデンシャ談義をしながら構えていたので全く退屈はしませんでした。
泉北高速の電車、特に3000系は見かけるたびに記録するようにしていますが、社名が消滅した後はどう変貌するのか気になるところです。
夕刻まで粘るも、結局6001編成はお休みのようでついに現れませんでした。最後は岸里玉出に近い踏切に陣取ります。