▲京阪電鉄1809ほか 私市 1981-2
こちらも宇治線と同じく多彩な顔触れに会えるため、今回の主目的の一つでした。
枚方市に着くと、いきなりやって来たのは本線の1800系。
戦後の一時代を担った1700・1800系は管理人の大好きな一派です。支線に押し込められていると思い込んでいただけに、ちょっとビックリでした。
▲いずれも枚方市 1981-2
先ずは対向ホームからお手軽に撮れそうな宮之坂へ、ここで本日の出動メンバーを押さえておきます。ここでも1300系が大活躍中でした。1枚目、左端で構えているのは今回の旅程を考えてくれた鉄研メンバーです。
▲いずれも宮之阪 1981-2
管理人ごヒイキのデンシャも運用中。
しかも1700系と1800系、初代と2代目特急車が仲良く手を組んでとなれば俄然力が入ってきます。特急車塗装に伝統の鳩マークを掲げて疾走する姿をしばし妄想しました。
私市駅。
ホームが広い上に上屋も途切れていますから、観察には持って来いです。
1800系は京阪の初代テレビカー。
1700系と外見的にはほぼ同じながら、カルダン駆動に台車にと技術の粋を集めて1953年に登場しました。砲弾形の前照灯も魅力的です。
私市からてくてく歩きます。
ごヒイキ電車をカッチリとフレームに入れながら隣の河内森が見える辺りまで来ると、突然視界が開けました。
▲いずれも河内森-私市 19681-2
しばかくこの高台で粘りました。
カーブの左右から構えていると、「危のうございますから白線の後ろへ下がって・・・」という案内放送が響いてきます。「危のうございます」とは聞いたことのない言質、流石は電車王国関西などと妙なところで感心してしまいました。
河内森駅は1面1線とまるでローカル線のような雰囲気。複線化された現在は周辺の風景と共に激変しているでしょう。
▲いずれも河内森-私市 1981-3
薄日が差してきました。
1700・1800系を総天然色で捉えたくなり、まだフィルムは序盤ながらカラーに入れ換えます。これをやると巻き戻しの途中でうっかり全部巻き込んでしまい、残りのコマを断念する破目になるので毎回緊張しますが、カメラが1台しかない者の宿命でした。
▲いずれも河内森-私市 1981-3
釣果にすっかりご満悦、河内森の枚方市側で1300系を捉えて終了です。
私市は模型の集会があるので、年に1回は訪れていますが、単線の時代は知りません。私市寄りの佇まいは今もあまり変わらないけど、河内森寄りの築堤はカーブの内側ギリギリに家が建っています。
返信削除1981年当時は関西の大学鉄研で活動中でした。正に灯台下暗し…
返信削除記事を拝見して京阪が眼中になかったことを深く反省しました(-_-;)
形式は異なりますが正面窓開き、骸骨テールの顔はつい最近まで見られたものです。
返信削除木幡にあります某アニメーションShop行った時も同様でした。
その当時はファンにも門戸開いていた同所でしたが、その時代は再び訪れることはもう無いのでしょう。
モハメイドペーパーさん
返信削除高橋弘さんの写真集を見ると京阪随一のローカル線という印象でしたが、90年代に高架化・複線化・5両編成化と一気に変貌した感じです。河内森駅もまるで別物ですが沿線はまだ片鱗が残っているんですね。ところで、「危のうございます」のアナウンスがこの後代わったのか気になります。
にぶろくさん
返信削除私にとっての灯台下暗しは当時住んでいた京王始め、京急、京成に営団とキリがありません。東武だけは73・78系や貨物がいたので多少記録を残せた「マシ」な部類でしたが、戦後製電車をおろそかにした報いは何十年も後にやって来ました。
12号線さん
返信削除悲惨な事件が起きるたびに色んなモノの距離は遠くなっていくのでしょうね。それ程ではないにしても、デジタル化・機械化とカスハラ対策で人と人の壁が高くなっているような気がしてなりません。前面窓を前回にして飛ばす電車も、大手のみならず地方ローカルでも過去のものになりつつありますね。