▲岳南鉄道モハ1905 岳南江尾 1981-5
1981年春、いつものように鉄道誌を繰っていると「岳南の電車が一気に交代する」との報。
沿線は工場ばかりながら、出自も経歴も異なる個性豊かな電機群が気になっていた管理人、ここは機を逃さず訪問です。
・・・という訳で、この日は鉄研メンバーと朝イチの小田急線で向かうことにしました。
しかし、待ち合わせた駅で忠犬ハチ公のように待てど暮らせど、同行者氏はやってきません。今なら10分を過ぎた時点でさっさと先を急ぐところですが、この時は幼気な好青年でしたから、結局1時間遅れの出発になりました。
▲いずれも岳南富士岡 1981-5
さて、吉原に着くと鋼体化車+小田急コンビが待っていました。
クハ2601は元小田急のデハ1600形(1608)。相方のモハ1100形は、開業に当たり西武・駿豆・伊那など多方面から掻き集めた木造車でした。
▲吉原 1981-5
先ずは比奈で下車すると、堂々たる編成のタンク貨物が待機中。
ED10形は旧大井川鉄道のE103で、私鉄向け箱型機の標準形とも言える電機でした。この頃は本線の主役でしたが、1986年に大井川へ里帰りします。
比奈は大昭和製紙の引込線が伸び、旧豊川鉄道のED29がせわしく動き回っていました。
貨物輸送の最晩年、本線は旧松本電鉄のED40、入換え任務は旧名鉄のED50と担当が決まっていましたが、盛業だったこの当時は運用が違ったのでしょうか。
▲いずれも比奈 1981-5
モハ1106の前身は駿豆鉄道のカマボコ木造車・モハ38で、戦災を受けた国電の台枠を流用し、残りは手持ち部品を集めて突貫工事で新造したと言われています。
・・・とそこへ遅れること2時間、同行者氏が悠々と現れました。
▲比奈 1981-5
次は車庫のある富士岡へ。
クハ1107は一見して分かる小田急デハ1300形で、管理人にとっては「配送」を掲げて疾走するデニ1300形時代がお馴染みです。
▲いずれも岳南富士岡 1981-5
同じモハ1100形でも1108は元小田急デハ1607。
1600形は他にもモハ1602・1603がお輿入れしていますが、なぜこれだけ1100形を名乗っているのかよく分かりませんでした。
武蔵野鉄道の木造車にステンレス車体を合体させた、異色のモハ1105も昼寝中。この後間もなく大井川へ嫁ぎ、増結用やオープン客車牽引用に重宝されることになります。
上田温泉電軌(上田交通)→名鉄と流れてきたED501。
貨物の少ない上田では役不足だったようで早々と名鉄に移った後、1969年にやって来ました。高出力が幸いして最後まで入換え用に残り、今も保存されています。
私もこの時代に一度行っています。昼間は江尾に1900-1950-1600(いずれも小田急の形式)の3連が留置されていました。1107ですが小田急時代はクハ1350形です。車体を新製しているのでリベットがなく、戸袋窓がHゴム支持になっているのが特徴。岳南に入線当初はデハになっていたようで、パンタ台が残っていますね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除「小田急顔」は使い勝手が良かったのか引退後も各社で余生を送っていますね。
そのためか新鮮味がなく、天候プラス沿線風景も相俟って数カットでオシマイにしてしまいました。今回改めて履歴を確認したら1300形OBはここと新潟交通クハ36だけだったんですね。あと岳南の形式区分ですが、クハ1107とモハ1108だけが何で鋼体化車と同じグループになったのか最後まで不明でした。
小田急1600形は、Hゴム、アルミサッシ、シールドビーム化で大きく変身していたので、戦前型の風格は薄かったですが、日車型鋼体化車と組んだ編成は、地方私鉄ならではの面白さがありますね。旧豊川鉄道のED291は、昭和初期の電気機関車らしくない直線的ですっきりしたスタイルが、レトロモダン風でなかなか魅力的です。
返信削除緑の猫さん
返信削除小田急時代の1600や1900最晩年は老婆の厚化粧のようでしたが、そうした改造も小田急カラーも妙に似合っていて結構好きでした。第二の職場で院電と手を繋いで走るなんて想像もできなかったでしょうね。
歴代電機のバラエティは中小路線としては特筆モノですね。ED29は最も見たかった電機で、動いているのを見た時は感激しました。