2024年8月16日

五月雨の世代交代 その2



▲岳南鉄道5000系回送 吉原 1981-5

さて、雨空を仰ぎながら岳南江尾で下車。
この頃、まだ若干の貨物列車が来ていた筈ですが森閑として人気がなく、タンク車がポツンと置かれていただけでした。

出札口は塞がれ駅員の姿もなく、遠く新幹線高架が見えるだけで何とも殺風景です。これほど寂しい終着駅というのも、あまり見たことがありません。


▲いずれも岳南江尾 1981-5

片隅で寂しそうに佇んでいた元伊那電のED32。
1976年の水害で線路が分断されここに孤立、そのまま復活することなく引退してしまいます。同じ飯田線からの転入組であるED29とは明暗を分かつことになりました。




ホーム外れには役目を終えたであろう小田急トリオ。
戦後輸送の一翼を担ったデハ1900形は富士急や大井川にも仲間がいますが、異色のサハ1950形(1955)の譲渡例はここだけでした。



▲いずれも岳南江尾 1981-5

せっかくですから、1枚くらいは走行シーンを撮ろうと神谷で下車。
この季節らしい甘雨と言えば聞こえは良いですが、暗いし傘は鬱陶しいしで長居はできず、早々と退却です。
▲須津-神谷 1981-5

同行者氏が「もう飽きた」と言うので、次はこちらへ。
思いつきでこうした行動が取れるのも、一声かければ簡単に車庫を動き回ることができたアリガターイ時代ならではでした。

1981年という年は、身延線・大糸線・宇部線・小野田線・福塩線と各地の旧型国電が一気に引退する端境期で、私鉄偏重の管理人も結構な頻度で各線に出没しています。この日は原型の面影を残すクモハ51850やクハ47059に会えました。


▲いずれも沼津電車区 1981-5

吉原へ戻ると、ホームに職員が集まり何やら物々しい雰囲気です。
しばらく観察していると、DLに牽かれた赤ガエルが静々と入線。偶然にも世代交代の瞬間に居合わせました。


▲いずれも吉原 1981-5

赤ガエルを見送り、後は帰るだけになりました。
旅客ホームに目をやると夕刻のラッシュに差し掛かったのか、モハ1105が増結されていました。彼とはこの10年後に大井川鉄道で再会することになります。

こうして最初で最後の小田急車&鋼体化車詣でも終了。
赤ガエルオンリーになったし、これでもう疎遠になるだろう・・・とこの時はそんな感懐に浸りましたが、古典機の牽く貨物とバラエティ豊かな切符に誘われて、この後何度も訪問することになります。


▲吉原 1981-5


▲目まぐるしく版が変わり蒐集家泣かせ



▲連絡券も多彩。果たしていくら散財したのだろうか

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2024年8月16日 7:45

    ED32は現物を見たことはないのですが、凸型車体に2個パンタというスタイルはお気に入りで、似たような模型を作りました。1107も前面に幌枠が付いたのはなかなか格好よいです。

    返信削除
  2. モハメイドペーパーさん

    ED32は仲間に名鉄デキ300や近鉄デ60がいますが、パンタ2丁はこれだけでしたね。凸形機の2丁は私も好きな電機の一つで、ED50は随分と追い回しました。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。