▲上信電鉄デキ2 千平-下仁田 1992-7
1992年という年は、なぜか自分でも驚くくらいに撮影行に励んだ1年でした。
通うのが習慣となっていた名鉄揖斐・谷汲線や野上電鉄は勿論のこと、北は津軽鉄道から南は小野田線や三井三池まで出向き、更にこれら以外にも碓氷峠や長電河東線、鶴見線やら20系臨時急行やら・・・近場の各線もうなされたように追い駆ける行動量でした。
▲苦心の末に構内立入り許可を貰った三井三池 いずれも三池港 1992-12
この頃は公私共に決してヒマではなく、まだ子は小さいし労働時間は過労死ラインを優に超えているしと、マイナス要因テンコ盛りだったにも拘らず、このご乱行とはアドレナリンが異常分泌していたとしか思えません。
まだまだ撮りたい対象が多かったお蔭もありますし、勿論若かったからでもありますが、やはり制約の壁が高いほど逆に撮影行への渇望が膨らんでいったのかも知れないですね。
そしてこちら、平日限定にも拘らず上信「デキ詣で」も春夏秋冬と延べ6回の強行軍。
この日はアドレナリン過分泌のせいもあってか、わざわざ梅雨の真っ只中に出向いています。尤も動くのは月・水・金だけでウヤもありますから、日程に関してはあまり贅沢は言えませんでした。梅雨らしい空の下、まずは途中の吉井で長時間停車中のところを追い抜きます。
▲上:吉井 下:馬庭 いずれも1992-7
そしてメインはド定番・千平-下仁田間。
相変わらずそぼ降る雨ですが、山滴る時期らしく緑が映えました。
▲いずれも千平-下仁田 1992-7
行ってしまうと、機材をアタフタと片付けて線路端を急ぎます。
下仁田では停泊していたデキ1も加わって、コンビで入換えが始まりました。2両が交互に構内を行ったり来たり、既に見慣れた光景ですが入換えパターンが幾つかあるようで、何度見ても飽きません。
▲いずれも下仁田 1992-7
小1時間の入換え作業が終了。復路は選手交代でデキ1が務めるようです。
▲下仁田 1992-7
絵に描いたような梅雨空ですから、復路は安直に南蛇井からほど近い場所に陣取ることにします。待つことしばし、カエルの大合唱に迎えられながらやって来ました。
▲神農原-南蛇井 1992-7
次列車に乗り込んで吉井で追い抜き、これまたお決まりのこちらへ。
ドンヨリ空のようにモチベーションは低空飛行、しかし結局この日も最後まで付き合うことになりました。
▲いずれも南高崎-根小屋 1992-7
いつもの電車で高崎に舞い戻って来ると、八高線のセメント列車が待っていました。帰りは東京までノンストップの新幹線を奮発です。
▲高崎 1992-7
デキが重連で雑多な貨車を牽いていた時代には間に合わず・・・というよりも、行こうと思えばいつでも可能だった筈なのに行けていない。残せた記録は同じようなトキ編成ばかりです。