▲京浜急行電鉄デワ45 金沢文庫 1981-6
本日は「80年代・ついでに撮りました」シリーズその3をアップしてみます。
貧乏学生も2年目に突入、すっかり板に付いた1981年。
相変わらず財布に余裕はないものの時間だけはありましたから、何かにつけてヨドバシカメラの「詰め替えフィルム」を入れたオンボロ機片手に、東京のデンシャをあちこち撮り回るようになっていました。
こちらは沿線の友人宅にしけ込む際の撮影だったでしょうか。
初体験だった初代600形「快特」の走りと、中間駅を減速もせずお構いなしに通過するシーンにえらく衝撃を受けたのを憶えています。
ダルマさん電車もまだ新参者。
側面の塗色もデビュー当時のままでした。京急伝統の「片扉・オデコ一灯」も、これ以降のメンバーから潮目が変わってきます。
▲いずれも能見台-金沢文庫 1981-6
金沢文庫に隣接した車庫。
道路からお気軽に観察できるアリガターイ立地です。振り返れば東急車両製造(現:総合車両製作所)の工場を覗き見ることもできました。
▲いずれも金沢文庫 1981-6
学生時代、所属していた鉄研には私鉄各社をテリトリーとする「クセ強マスター」がそれぞれいましたから、彼らから撮影ポイントを聞いたり或いは難しい講釈を拝聴したりしながら、それまで無知蒙昧だった大手私鉄に開眼したものでした。
西武線は時あたかも2000系が版図を拡大、在来種、特に451系が引退したり第二の職場へ散ろうとする頃。上京するまで無縁だった西武線を随分と記録に残せたのも、マスターのお蔭でした。
▲西所沢 1980-5
▲撮影場所失念・・・ 1980-5
東武鉄道は73・78系を追って結構な頻度で出向いています。
標的は専ら彼らや5700系、そしてバラエティ豊かな電機でしたが、ウンザリするほどやって来た8000系一派にももう少しカメラを向けておくべきでした。
▲いずれも小菅 1980-5
▲いずれも曳舟 1980-4
国鉄電機の中では驚異的な長命を保ったED16。
最後の縄張りだった青梅線にもEF15や64が配備され始め、彼らの牙城もいよいよカウントダウンに入ります。
京王線も、腰を入れて撮ったことはないけど「何かのついでスナップ」を稼いだ路線のひとつです。しかし写っているのはグリーン車こと1000・2000系列ばかりで、1000回以上は乗っているであろう3000系や6000系のコマがほとんどない体たらくでした。
▲いずれも明大前-下高井戸 1980-12
少し前、長く勤めた職場を去る頃から、首都圏の私鉄デンシャ現役世代も記録しておこうと思い立ち、早起きする日が増えてきました。できれば昭和の匂いが残る駅風景とのコラボを狙おうと安物デジカメ片手に歩き回るも、やはりそう簡単にはいきません。
それに、平成半ば以降に生まれたデンシャには「どうにも受け入れ難い」デザインも目立ってきました。気に食わなければ速攻で削除できるのがデジカメなのに、シャッターを押す気にすらなれない、というのも困りモノです。
視界に入るものなら分け隔てなく、何にでもカメラを向けていた純真無垢な鉄道少年マインドも「遠くなりにけり」ということなのでしょう。