足尾線(現:わたらせ渓谷鉄道)に初めて乗ったのは1974年、まだ足尾銅山の閉山間もない頃。
地肌剥き出しの山々に打ち捨てられた採掘機械、無人の鉱山住宅と、キハ20からの車窓はあまりにも荒漠としたものでした。
その衝撃的な光景は子どもの眼にも焼き付き、最寄駅から桐生まで30分というお手軽さも幸いして幾度となく乗りに行くようになります。
▲大間々-上神梅 1985-8
しかし初めてマトモな撮影をしたのは1985年夏のこと、初乗車から10年が経っていました。
この日、まず向かったのは神土(現:神戸)。
跨線橋で構えていると、貨物列車が次々にやってきます。
銅山閉山後も輸入鉱石の精錬は続き、関連品の輸送用として運行されていました。
登山シーズンのせいでしょうか、国鉄時代としては珍しく臨時列車もやってきました。
メジャーな「こうべ」との混同を避けるため(混同する人いないと思いますが・・・)敢えて「神土」にしたらしいですが、本来の地名は現在のものです。
▲いずれも神土 1985-8
続いて渡良瀬川沿いのポイントへ。
渡良瀬川の水質は回復途上で、この頃はまだアユも棲めなかったと記憶しています。
▲いずれも上神梅-水沼 1985-8
▲原向-通洞 1985-8
終点まであとひと踏ん張り、キハ20がやってきました。
間藤で一休み中のキハ20。
結構乗りに来た客がいました。背後の山々には地面が露出した状態が残ります。
鉱毒事件の重い歴史を忘れさせるような、長閑な夏の一日でした。
▲神土 1985-8