いつかは三井三池の生き残りに会いたいと画策していましたが、2012年秋に決行。
遅ればせながら、初めて手にしたデジタル一眼の試運転を兼ねてのことでした。
空路と西鉄を乗り継いで、大牟田に着いたのは午後。昼飯ヌキで一路宮浦へ向かいます。
まずは工場と宮浦操車場の往復を担当する22トンBロコを狙いました。
この日は11号機が稼働。ジーメンス機(1~4号機)をお手本に三菱が1911年に製造した機関車で、機器類が交換されてはいますが車齢100年を超えています。
化学工場という特殊性ゆえ、スパーク防止のため電源車をつないで走ります。
▲いずれも宮浦 2012-11
宮浦手前の踏切越しに見た工場。配管が走り回り、独特の造形美を醸しています。
「工場萌え」の気がある自分には惹かれる光景です。
さて翌日は旧三池鉄道旭町線を引継いだ本線(仮屋川操車場~宮浦)のタンク列車を狙いました。1936年東芝製、Bロコより新しいものの御年80歳の18号機が牽引します。
本線列車は早朝2往復だけのため、これでおしまい。再び11号機を狙いました。
同じ場所を行ったり来たりのため若干物足りなさはありますが、相手が相手だけにリキの入りようがやはり違います。
古典機たちとの20年ぶりの再会に感無量。この他22トン9号機と45トン19号機がいますが今回は会えませんでした。当線は初夏に長期運休がある以外は休日を含めほぼ1年中稼働しており、炭鉱遺跡群の訪問を兼ねて再訪したいところです。
▲宮浦の出発信号。これでも現役です 2012-11
クラッドバッテリーを積んだ貨車の先頭にあるのは充電器のようですが、これなら架線から充電するのも可能ですね。クラッドバッテリ5個分の充電器は巨大となり、とても車載式充電器は無理と思っていました。そうか、貨車に充電器を積んでいたのですね。
返信削除katsuさん
返信削除画像4枚目にあります、11号機がパンタを上げている姿はちょうど充電中のところです。
充電器がどこに搭載されているかについてはご指摘を受けるまで考えが及びませんでした。先頭の箱が受電器だったのですね。
この電源車(デ4)は火気厳禁の場所に移動するのに重宝していたようで、広大な三池港駅構内を動き回っているのを見たのも懐かしい思い出です。三池鉄道廃止後もこんなに活躍するとは想像もつきませんでしたが、化学工場にはうってつけだったのでしょうね。
いや〜この機関車は涙モノですね!
返信削除自分は台風に襲撃されて孤立した朝にチョットだけ寄った苦い思い出があります。
リベンジしたい所です。
chitetsuさん
返信削除記録的豪雨で新幹線止まっちゃったときですね!
22トン機、機器は交換されていますが、稼動状態では日本一古いカマだと思います。
それだけでも凄いですが、ほぼ1年中動いているというのもオドロキです。
アングルは限られますが、私も9号機狙いで再訪したいところです。