▲近畿日本鉄道デ12 西大垣 1984-7
かつて近鉄には多くの電機が在籍していました。地場の私鉄路線を次々と買収してきた経緯からメーカーも形態も多彩、そのバラエティさは名鉄に比肩するものでした。
しかし御多分に漏れず貨物輸送は衰退の一途を辿り、唯一残ったのが養老線。ここで4形式4両が最後の活躍をしていました。
1984年夏のこと、大近鉄という相手も省みずアポなし、玉砕覚悟で西大垣車庫を訪問しました。
事務所で来意を告げると案の定「本社の広報に話は通していますか?」との答えです。
そこで間近にいたEE製・デ12を指し、これだけ撮らせてもらえないかと懇願すると、ヘルメットを渡しながら「30分程度なら撮っていいですよ」と思いがけない言葉。受付のノートに名前を書き、大急ぎで撮り回ったのがこれら電機たちです。
まずはこちら、デッカーこと1928年・EE製デ12。国鉄を始め、東武・西武・秩父にも多くの仲間がいました。僚機のデ11はこの前年に廃車になっています。
古い庫内にいたのは1928年・三菱製のWHコピー機デ62。
4両の仲間のうち最後の1両でした。今度はデ12を従えて2両で入換作業です。丁度いい按配に停車したので、既に陽が傾いてISO50では苦しい露出ですが慌てて6×7判も構えます。
次はこちら、1944年・日車と東洋電機の合作になるデ25。1形式1両ですが同系に伊豆急行ED25がいました。
最後はこちら、4両の中では最も若いデ31。1948年・三菱製で大井川のE10とは同系機です。
貨物廃止後も入換用として2000年まで残り、仲間のデ32は塩浜検修車庫で現在も活躍中。
当線は雑多な戦前型電車の宝庫でしたが既に世代交代が終わり、本線系統からやって来た420・430・440系が主役になっていました。
短時間ながら全4機を収獲、思わぬ計らいに丁重に礼を述べて車庫を後にしました。
突然の訪問にも拘らずあっさりと撮影許可が下りたのには未だに感謝しきりですが、現場が判断できる最後の時代だったのかも知れません。
デ12と62はそれから半月と経たずに引退の日を迎え、電車を牽引したさよなら列車が運転された由、まさに「滑り込みセーフ」であったことを後になって知りました。
こんにちわ。
返信削除西大垣の事務所でのやり取りは、まるで昔の自分をみているようで手に汗を握りました。
当時は駅のホームや車庫で随分無理を言いましたが、皆さんおおらかでした。
てつよしさん
返信削除ようこそ。ご訪問ありがとうございます。
この頃はローカル私鉄はどこも何なく撮影許可をもらえましたが、大手は難関でした。
突然の訪問でOKが出たのはここと西鉄くらいでしょうか。
てつよしさんのHP拝見致しました。
私が私鉄行脚で全国を回っていた時期と重なり、懐かしく思いました。
また訪問下されば幸いです。