▲東武鉄道ED4022 葛生 1974-10
「東芝戦時標準型電機」は全国に仲間がいますが、その多くは戦地での物資輸送目的で製造されたものの、終戦に伴いキャンセルされ各社に引き取られたという経緯を持ちます。
東武にはED4010・4020の2形式4両が在籍。千住貨物線の小運転のイメージが強いカマですが、この頃は1日1往復、杉戸機関区から葛生まで通っていました。
夕刻近く、館林からやってくる列車を待ち受けます。
秋山川橋梁を渡るED4020形。
佐野市で時間調整。ここで2時間以上停車してから葛生へ向かいます。
編成は短く、お供がヨ1両だけの日も少なくありませんでした。3枚目はED5080形重連単機が追い抜く姿です。
▲上からED4012・4021・4021 佐野市 1974-5
毎日のように観察しているとやって来るカマの頻度も分かってきますが、ED4020形が圧倒的に多く4010形はめったに姿を見せませんでした。この日は最もレアな4011。同機の動く姿を見たのはこれ一度きりでした。
「繊維街道」の異名を持ち、明治期から生糸産業の要路だった旧国道50号を跨いで市街地へ向かいます。
両毛線との接続駅である佐野でまた停車、国鉄貨物の受け渡しのため入換えを行います。
小1時間ほどの作業が終わると葛生へ。ここで停泊し、ヤードを行き交う鉱石列車に混じって黙々と入換をこなしてから杉戸へ戻る、そんな運用でした。
▲いずれもED4012 葛生 1974-5
大車輪の活躍をしたED5000系列に比べ最後まで目立たない存在でしたが、1980年代半ばまでに4両とも廃車になりました。このうち4011・4021の2両が個人に譲渡された由、どんな使われ方をしたものでしょうか。
はじめまして。1990年の高校卒業まで栃木市に住んでいた者です。
返信削除1978年11月改正の東武の運行図表から貨物運用を書き起こしたことがあるのですが、
K633レ 杉戸1530--(略)--佐野市1804/1834--佐野1840/1912--葛生1947
というのがこのED4000系牽引の貨物のようですね。1974年当時に比べて佐野市の停車が短くなってますが、重連運用のK635レに抜かれる点は変わっていないようです。
当時、私は北関東の私鉄ローカル線に首ったけで、栃木市から峠一つ越えれば到達できた葛生の奥の貨物線群や、学区内にあった柳原砂利採取場に足を運ばなかったことを、今となっては悔やんでいます・・・。
というわけで、今後も東武の貨物ネタを楽しみにしております。
最寄りは首里駅さん
返信削除初めまして、訪問ありがとうございます。
また詳しい解説、ありがとうございます。この当時の佐野市駅の停車時刻ですが、下校途中の時間帯だったので確か15-16時台だったかと思います。カマを確認してから一旦帰宅して、カメラを持って出直したりしていました。佐野駅での入換えは夏でも日没ぎりぎりの時間帯でしたので78年改正時とあまり変わっていないようですね。
東武貨物は毎日のように見ていたせいか、当たり前過ぎてきちんとした記録が余りありませんが、機を見てまたアップしたいと思います。
初めまして、おはようございます。中学生まで館林在住でした。同駅3番線到着、1740/1743と記憶しています。乗務員交代のための停車でした。返しの葛生発はK648レだったと思います(間違っていたらすみません)ちなみにED4010.4020は「カニ」で、機関車+車掌車の編成は「親子」と言われてました。東武貨物大ファンなので、次回も楽しみにしてます。
返信削除匿名さん
返信削除初めまして、訪問ありがとうございます。
また解説もありがとうございます。館林の停車シーンは残念ながら目にすることができませんでしたが、長い3番線ホームにちょこんと停まっている姿、見たかったものです。ヨも確かに凸形ですから確かにED+ヨは「親子」ですね。
東武貨物は趣味の原点のようなもので、特に館林は佐野市や葛生と同様に子どもの頃から愛着のある地です。当たり前の光景だったのできちんとした記録が少ないのが残念なところですが、佐野線や伊勢崎線は若干撮っていますので機会を見てまたアップしていきたいと思います。
初めまして、貴重な画像をありがとうございます。
返信削除葛生の専用線に興味がありまして偶然こちらにたどり着きました。会沢線が廃止になる時期訪れようとすればできたのですがEF58ばかり追いかけていまして後悔後に立たずです。せめて面影だけでもと思い会沢線の廃線跡は最近訪れたのですが第三会沢の辺りは面影はあるのですが第一会沢?の辺りは荒涼とした山しかなく当時を偲ぶのは困難でした。
こらからも貴重な画像を楽しみにしています。
失礼しました。
ちろさん
返信削除初めまして、ご訪問ありがとうございます。
葛生貨物の写真は小中学生時代の拙い作品ですが、お眼に留まり恐縮です。
私も当時は専用線にはあまり興味がわかずに、会沢線や大叶線、日鉄鉱業線などの終点を極めずに終わってしまったのは悔やまれるところです。葛生の風景も随分変わってしまったようで、一度廃線跡を歩きたいと思いながらなかなか実行できません。
東武貨物はまた少しずつですがアップしていきますので、また覗いて下されば幸いです。