▲津軽鉄道キハ24023 嘉瀬 1988-9
「ストーブ列車」が観光資源として定着した津軽鉄道。
南部縦貫、弘南鉄道と回ってきた1988年東北私鉄巡りの終盤戦、早朝の芦野公園に降り立ちました。田園風景が映える秋に来たのは初めてです。
乗って来たのは国鉄キハ20形に準じた自社発注車、キハ24000形です。
清冽な空気を目一杯吸い込みながら、畦道を川倉まで歩きます。
既に刈入れの時期を迎えていました。
▲いずれも芦野公園-川倉 1988-9
旧国鉄キハ11のキハ240025・240026も活躍中でした。
転入車ながら、自社発注のキハ24000と同形式を名乗っています。キハ22はまだ入線していない時代でした。
川倉周辺は広大な田園風景が広がる純日本的な風景です。
車体前面の派手な看板はビミョーですが、折返しごとに付け替えているようでした。
▲芦野公園-川倉 1988-9
嘉瀬まで戻り、金木寄りの築堤を狙います。勾配を一気に駆け上がってきました。
▲嘉瀬-金木 1988-9
同じ場所でちょっと演出。広角レンズにPLフィルターを装着して空を強調します。
デジタル処理など考えられない時代、よく使った手法でした。
日が傾く頃、五所川原に戻ります。
▲いずれも五所川原 1988-9
客車列車には会えない旅でしたが、国鉄型DCと、それに何より沿線風景を再発見できたことは大きな釣果でした。DCたちが消えた後は疎遠になってしまい、この冬こそストーブ列車を・・・・と毎回決意だけはする昨今です。
津軽鉄道は92年の冬に訪れましたが、吹雪の中でほとんど景色は見られずこの地の冬の厳しさを感じました。その時乗車したのはこのキハで懐かしいです。帰りは弘前から「白鳥」に乗車しました。
返信削除秋の美しい田園の中を走る光景を見事に捉えられて素晴らしいです。
夢鉄道さん
返信削除ありがとうございます。
私もストーブ列車を狙って何度か冬に出向きましたが、ものすごい地吹雪で早々に退散してしまいました(苦笑)。最初の洗礼はまだオハ31が走っていた頃でしたが、こちらの記録もいつかアップしたいと思います。
キハの方は当時全国にいたキハ20系列の仲間だったせいか、あまりファンの関心も向かなかったようでこの日も同業者に会うことはありませんでした。しかし今やこちらも絶滅危惧種になってしまいましたね。
平成1桁の頃、金木~嘉瀬で写真を撮っていたら、人なつこっい小1の2人が声をかけてきて仲良くなりました。写真を撮ってあげて、後に小学校の住所を調べて送ったら、その子の母親からお礼状とスルメイカが送られてきましたという、ほのぼのとした思い出があります。
返信削除尤も、今の時代にそんなことしたら警察に通報されちゃいますね。
maru-haどの
返信削除その小学生は、貴殿を同級生と思って声をかけてきたのでしょうか!?
それは兎も角、ホンワカする話です!ローカル線に行くと見知らぬ子どもたちやお婆さんから「おはよう」とか「ご苦労さんです」なんてことは良くありましたね。レンズを向けてもピースで返したり、とか。
今やったら変質者扱いですね。小湊で「通学生にカメラを向けないで下さい」という貼紙を見たときはなんとも暗然としてしまいました。
いや〜、懐かしいですね。
返信削除青森にいた時は本当によく行きました。
吹雪の中真っ白になりながら列車を待ったり、車が側溝に落っこちゃった事なども懐かしい思い出です。
chitetsuさん
返信削除青森在任時はこちらはまさにchitetsuさんの庭でしたね!
「車が側溝に落ちた・・・」のくだりで、鉄研の某氏がストーブ列車撮りながら側溝に落ちたのを思い出しました(笑)。あの頃はオハ31でしたね。吹雪の中金木の築堤や深郷田のカーブで構えたのも懐かしいです。それにしても若かった!