▲上信電鉄デキ2 千平-下仁田 1993-5
かつてワムやテムを従えて重連で活躍していた上信のデキですが、1984年に一般貨物が廃止された後は週3日の石灰列車だけになっていました。
遅きに失しましたが、ジーメンスが牽く定期貨物ですから当然無視はできません。88年に千平付近の風景に触れてからというもの、幾度となく通うことになりました。
運行は月・水・金に1往復、ウヤになったり片道だけの時もありました。決心しないと行けませんが、94年秋に廃止になるまで、僅かな休暇の大半をこのために消化してしまった気がします。
1往復とは言っても往・復路とも途中の吉井で30分ほどの停車時間があり、電車での「追っかけ」が可能で都合4回のシャッターチャンスがありました。
1回目を狙うのはいつもこちら、高崎から二つ目の根小屋近辺でした。
南高崎を過ぎて新幹線高架を潜ると鏑川を渡ります。
そして2回目が本命、千平-下仁田間。
全体的に単調な平坦区間の多い上信線ですが、千平を過ぎると山岳路線に一変します。急カーブありトンネルあり、山肌を縫うように走る風景は四季折々楽しむことができました。
デキが通過するや、小走りで下仁田駅へ。
ここでの見どころはデキがチョコマカと動き回る入換え作業です。
▲いずれも下仁田 1992-10
さて入換えが終わる頃を見計らって、今度は上り電車で先回りです。
逆光気味になりますが、3回目も千平周辺が恒例でした。この日は西武からやってきたばかりのデハ150形(旧西武401系)も走っていました。
▲いずれも千平-下仁田 1993-5
最後の4回目も次列車で「追っかけ」です。吉井で抜いた途端にやって来るので、毎回お決まりの平凡な場所になってしまいますが、この日は山名近くで構えます。
おまけは高崎を一覗きです。
撮っては走り、次列車で追い抜いてはまた走り・・・の繰り返しはハードですが、1往復ながら密度の濃い1日になるのもこのダイヤのお蔭でした。
「ここで運んでいる石灰は(強酸性の)吾妻川の中和にも使われているよ」とは職員さんの談です。行く前に「貨物が動くか聞きたいんですが・・・」と電話すると「明日はデキ1が動くよ」と親切に教えてくれた時代でした。
ジーメンスを追った日々 その1 →→ こちら
▲神農原-南蛇井 1989-5
高崎で佇むデキの隣に写る115系1000番台の方が、先に運用終えてしまいそうですね。
返信削除最近は定期運用が無いとは言え、ドイツ製の電気部品のまま生きながらえているのは工業力の底力を感じさせます。
12号線さん
返信削除JR対中小私鉄ですから仕方ないですが、50年も後輩の方が寿命とは何とも・・・です。
ドイツ製機関車は元々少数派の貴重品ですが、三井三池といい未だに稼働状態にあるのは考えてみると凄いですね。高かったであろう輸入電機をわざわざ導入した上信も、当時は力があったのでしょうね。