2017年10月29日

カナリア電車 世代交代

▲上毛電鉄クハ36ほか 粕川-膳 1989-5

長らく戦前の古強者が闊歩してきた上毛電鉄ですが、1977年から西武の351+1411形コンビが転入し始めると様相は一変。創業時からのデハニ50形や旧社型など個性派が先ず廃車、その後急速に置換えが進んでいきます。

しかし情報がサッパリないのは相変わらずで、様子は如何にと立ち寄ってみると西武車は総勢16両の大所帯になっていました。
▲デハ101 大胡 1980-5

かつて雑多なカナリア電車がひしめいていた大胡車庫は妙に小ざっぱりしてしまい、デハ100形2両に加えて若干の休車がいるだけでした。
まずはこちら、デハ81に代わって貨物用に残ったデハ101です。
出自は様々ながら、西武所沢工場で鋼体化工事を受けて似たような車体になった3両が一列につながれていました。
デハ104はこの後101の予備車になりますが、出動の機会は殆どありませんでした。基地の中央には早々に引退した旧青梅のクハ501が据えられています。
▲いずれも大胡 1980-5

こちらは西武所沢工場が手持ちの部品をかき集めて造った、異色のデハ181。

クハ61はルーツが成田鉄道の木造客車という代物です。
最後まで残った仲間は、結局デハ100形を除いて全鋼車体に載せ替えたものばかりでした。

デハ100形一派でもこちらは淘汰の対象となったデハ102。
▲いずれも新里 1980-5

さてそれから時代が下って、西武コンビがすっかり板についた頃。駅舎が改築されたりコンクリート電柱も増えたりと、確実に変貌していました。
▲粕川-膳 1989-5

▲粕川 1989-5

在来車の命運を分けたのは、小型且つ両運であることでした。
結局最古参のデハ101に白羽の矢が立ち、平日朝の0.5往復ながら定期仕業も残って1997年の引退まで命脈を保ちます。この頃、塗色はカナリア色から淡いオレンジに変わっていました。

カナリア電車現役の頃 →→ こちら

▲いずれも大胡 1989-5

▲こちらは等級制時代。この頃はデンシャも垂涎ものばかりでした

2017年10月24日

小田急63が行く

▲小田急電鉄デハ1811ほか 東林間-中央林間 1980-5

戦後各社に散った国電のヌシ・63系。
その割当ての経緯や受け入れた各社の事情を探ってみると、興味深い話が尽きません。関東ではご存知東武の73系と相鉄3000系(割当時は大東急時代)、そしてもう一つは小田急1800系(同)がありました。
▲クハ2450ほか 東林間-中央林間 1980-5

1980年初夏、この頃1800系は江ノ島線ローカルで最後の活躍をしていました。まずは中央林間近く、まだ雑木林の残るポイントで構えます。
▲いずれも東林間-中央林間 1980-5

当時の最新鋭は9000系ですが、主役はデハ2200・2400・4000ら小田急顔のメンバーです。
 
こちらも一時代を築いた元デハ1300形のデニもやって来ました。
▲いずれも東林間-中央林間 1980-5

続いて相模大野にほど近い築堤にて。
全金車体に機器類交換と新製に近い更新を受けていますが、独特の食パン型は遠目にもすぐわかります。
▲いずれも相模大野-東林間 1980-5

夕暮れ近い相模大野で見送りました。
▲いずれも相模大野 1980-5

こちらは秩父に移って間もない頃の姿。
貫通ドアの手前で塗り分けた秩父カラーは個人的には好みでしたが、1985年から黄色基調の新塗色に変わって行きました。
▲白久 1980-5
 
▲浦山口-武州中川 1980-5

▲白久-三峰口 1980-5

2017年10月19日

「修学旅行色」のこと

▲155系急行「おくいず」 東京 1974-5

憧れだった20系客車に会えたのは73年秋、家のカメラを持ち出し初めて東京駅を訪れたときのこと。20系と共に初見参の157系「あまぎ」や153系などに右往左往している中、おやっと思ったのが「ひので」塗装のデンシャでした。
▲いずれも東京 1973-9 

既に修学旅行輸送の主役は新幹線に変わり、出番の殆どは臨時列車になっていました。東京駅で良く見かけたのは臨時急行「おくいず」に運用された155系や167系でした。
▲東京 1974-5
 
▲東京 1975-3

東北線で見掛けた155系団体列車。
▲間々田-小山 1975-8

修学旅行列車は75.3のダイヤ改正で殆どが廃止、時刻表から「修学旅行」の文字が消えます。その後も波動輸送用として残るもベース車(153・165系)と同色になり、インパクトはなくなりました。

こちらは東北線の急行に組み入れられたキハ58-800番代。
▲上野 1978-9

▲福島 1976-3

※Wikipediaから抜粋

「車体塗色は、子どもたちに明るい印象を与えようとしてライトスカーレット(朱色3号)とレモンイエロー(黄1号。後3号へ変更)の2色塗装が採用された。いわゆる『修学旅行色』で、塗り分け方も153系とは異なり113系と同様に前面下部の塗り分け線を斜めにして貫通扉や前照灯にかからないようになっている」

ところで、これを見て思わず「新潟色」を連想してしまうのは、自分だけでしょうか・・・
▲高崎 1975-6

2017年10月14日

松本電鉄 新村にて

▲松本電鉄ED301 新村 1985-4

生抜き木造車のほか、旧西武や京王車、珍奇な電動貨車など強者揃いだった松本電鉄でしたが、1960年代に日車標準車体に更新されてからは話題になることも少なく、地味な路線でした。 

旧甲武の「ハニフ」を見るべく初めて新村車庫を訪ねたのは1976年の夏休み、長野早回り旅のルートに入れたときでした。
こちらは車庫で点検中のED301。


専用の庫で保管されていたハニフ1。
車庫でお願いすると重たいドアをギギィと開けてくれましたが、尻を覗かせているだけでした。庫内は真っ暗、「引き」もなかったのでこれだけ撮って引き返します。
▲いずれも新村 1976-7

さてそれから9年後の85年、67判でまともに記録しておこうと再訪。
顔触れは同じですがまずはこちら、モハ10形107。1番目だから11ではなく「101」、しかも奇数だけという変わった付番(偶数番は浅間線で使用)をしています。
▲いずれも新村 1985-4

旧信濃鉄道・WH製のED301。
貨物列車は1973年に廃止され、専ら除雪や工事用でしたが出動の機会は殆どありませんでした。現在は茶色に再塗装され整備されてはいますが籍はなく、イベントに駆り出される程度です。
筑摩鉄道時代からの駅舎。2012年、隣に新駅舎ができるまで90年近く現役でした。
▲いずれも新村 1985-4

日曜のせいか人気がなく「ハニフ」の方は諦めて沿線へ。新島々方に少し歩いた辺りで構えます。
▲いずれも新村-三溝 1985-4

あまり写欲が湧かずこれだけに終わった日車標準型でしたが、この翌年の昇圧によって東急5000系に一新されあっけなく消滅してしまいます。一時は全国に広がった「東急ガエル」の棲息分布、しかしこちらも熊本に残る動態保存車だけになりました。
▲新島々 1985-4