2019年6月29日

山峡のホイッスル その1

▲EF1621 石打 1980-6

最近国鉄(JR)ネタをあまりアップしていない管理人、しかし決して枚数が少ない訳ではありません。撮り溜めた40年分のフィルムを改めて見返すと、初期のネガカラーやモノクロは国鉄の方が多かったりします。

ネガカラーのデータ化。
これは最強の難敵で、40年の時を経た変退色は難攻不落と言っても良いでしょう。画像ソフトをあれこれ駆使するも、全面に侵食した黄変など「完全お手上げ状態」も少なくありません。
▲「完全お手上げ」の見本のような変色 栗橋-古河 1975-10
 
・・・という訳で今回はそんな中から1980年初夏の上越線です。
丁度モノクロ一本鎗に移行する頃で、ネガを使った最晩年の頃でした。

115系各停で清水トンネルを抜けて先ずは越後中里で下車、狙いは引退が囁かれ始めた名補機・EF16です。真夏のような日差しが照り付ける中、線路端を歩いていると早速EF16+15の貨物がやって来ました。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6

新幹線開業前の上越線はまさに「特急街道」で、181系「とき」を始めバラエティ豊かでした。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6

機関車のネグラは石打。
開業時から機関区が置かれ、水上と共にカマの付け替えが行われる主要駅です。
広い構内を持ち、70年代末期には引退直後の70系が大挙して疎開したり、新幹線開業後には余剰となった181系が留置されたりしました。
▲いずれも石打 1980-6
 
この日は越後中里周辺を軸に撮り回ることにしますが、昼行優等列車が多いせいか貨物の本数は左程多くありません。 
 
貨物補機はEF16の独断場の感ありの一方で、時折EF15+15もやって来ます。本務機は主役のEF15に混じって新任のEF64も顔を見せますが、これは間もなくデビューする1000番代への布石で、訓練運転も兼ねていました。
本日のサプライズ、EF58の牽くお座敷列車。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6
 
あわよくばと土樽まで追い掛けてみると、まだ停車中です。かれこれ1時間、こうした至ってノンビリな旅も最近は見掛けなくなりました。
▲土樽 1980-6

辺りが暗くなる頃、石打駅へ舞い戻って来ました。
昼の部はいわば序章で、夕闇と共に主目的の夜間撮影へ突入です。狙いはもちろんこちら、EF16解結の長時間停車でした。
▲いずれも石打 1980-6

闇を衝いて次々にやって来る貨物列車に加え、特急「北陸」や急行「鳥海」「能登」など多彩なメンバーによって、人気のない駅が華やかな舞台に変わりました。
・・・次回に続きます。
▲サプライズその2は荷電4重連でした 土樽-越後中里 1980-6

2019年6月21日

民家的駅舎めぐり その4(終)

▲新潟交通モハ16 東関屋 1990-9
 
さて、早朝から開始した新潟交通駅巡りも終盤戦。

こちらは中ノ口川土手沿いの停留所、吉江です。かつてはこの吉江を始め、板井・曲など小さな停留所にも委託駅長がいて出改札もしていましたが、一体どんな駅風景が展開されていたのでしょうか。
▲いずれも吉江 1990-9
 
木場は昼間の列車交換が行われる主要駅ながらこちらも委託駅で、窓口は平日午前のみの営業になっていました。
▲いずれも木場 1990-9
 
駅舎の影が大分長くなってきて、そろそろタイムアップです。
▲越後大野 1990-9
 
▲いずれも焼鮒 1990-9
 
さて、最後はネグラの東関屋です。
晩年はバスとの連携を図るべく大改修、新潟駅前へのアクセス改善を目指しましたが、廃線まで乗客が上向くことはありませんでした。
小田急車体で唯一の電動車、モハ16のルーツは伊那電でした。
既に旧車状態で、廃止の日まで復活しないまま終焉を迎えることになります。
貨物廃止後は殆ど出番のなかったモワ51。
▲いずれも東関屋 1990-9
 
数回の訪問で大方の駅を回ってしまったし、電車は日車標準型で刺激は少ないし、これで最後か・・・とこの時は思いましたが、その後も何度か訪れる機会がありました。やはりこれら駅舎群の魅力に依るところが大きいと言えそうです。
▲焼鮒 1990-9
 
▲切符のバラエティも当線の魅力です

2019年6月15日

民家的駅舎めぐり その3


▲新潟交通モハ14+クハ50 味方-白根 1990-9
 
六分を出た電車は中ノ口川に律儀に沿って走っていました。
当線のルーツはこの地の物資輸送を担っていた蒸気船の代替手段、「中ノ口電気鉄道」。自然に還ろうとする貨物ホームや側線が至る所に残り、盛業だった時代を偲ぶことができました。

滔々と流れる中ノ口川に沿って走るクハ50+モハ14。
クハ50は5枚窓の東武デハ1形が前歴です。
▲いずれも味方-白根 1990-9
 
さて、駅巡りを続けます。
まずはこちら、部分廃止後に終着駅となった月潟。
かつて月潟村の中心的役割を果たしてきた時代を彷彿させる広い構内を擁していますが、大半が草生していました。部分廃止後は棒線駅になり燕方面ホームもお役御免に、側線も悉く撤去されてしまいます。
月潟駅舎。
この角度からだと物置のようでちょっと逡巡しますが、ホームに上がってみると他の駅舎同様の佇まいで、ほっとします。道路からかなり高い位置にあり、中ノ口川土手と同じ高さに建てた事情からでしょうか。
▲いずれも月潟 1990-9

隣の曲は1面1線の無人駅。1981年までは委託駅員が常駐していました。
▲曲 1990-9

どの駅も民家のような佇まいで、立派な・・・というよりも田舎の実家に帰ってきたような親近感がありました。

こちらは中心駅の白根。
当駅止まりの列車も多く、狭い構内ながら交換設備や留置線を備えています。駅舎は大き目ですが、こちらは民家というより土蔵のような雰囲気です。
▲いずれも白根 1990-9

・・・とここで枚数がいってしまいました。しつこく続きます。
▲月潟 1990-9