周遊券と道内夜行急行をフル活用、1次・2次廃止線を最優先に片っ端から乗り回し、完乗とは行かないまでも80年代に存在した路線の95%を踏破しています。体力が余っていた学生時代ならではですが、乗るだけでも楽しい魅力的な路線がそれだけ多数あったということでしょう。
とにかく写真集と同じ場所に立ってみようと、厚床から別海までの24㎞を歩くことにしました。
沿線には牧草地以外何もなく、彼方にサイロが見えるだけでした。
▲いずれも厚床-奥行臼 1985-9
風以外に、聞こえてくる音はなし。
いかにも北海道らしいですが、途中から脚が痛くなってきました。
奥行臼まで辿り着き、ここから列車に乗ろうかと思いましたが、次の列車まではまだ3時間以上あり、しばらく駅前をウロチョロしながら迷います。
しかし脚は痛いわ天気は悪いわ、しかも次列車の発車時刻が迫って来て「地平線を遠くに眺め、ノンビリと歩く」という当初の目論見は無残にも崩れました。
半死半生で別海駅まで辿り着いた後はそのまま取って返し、翌日めでたくこの2路線の踏破を果たしました。
▲富内線は途中で真っ暗に いずれも日高町 1985-9
▲奇岩「三本杉岩」は瀬棚線の名所でした いずれも瀬棚 1985-9
奥行臼で3時間あれば別海村営軌道跡を探訪できたのでは?
返信削除確か保存車両もあったと思います。
1988年3月、希望高校に合格して、初の北海道に行きました。完乗には程遠いですが、天北線やら深名線などに乗ることができたのはホントにいい思い出です。
返信削除この時は全く貨物列車撮影を行っていません。まだまだ石炭列車が残っていた時代なのに、ホントにもったいない!!と後悔しています。
にぶろくさん
返信削除当時は保存車のことを知らずにスルーしてしまい、禍根を残すことになってしまいました。
この時は3時間待って次列車に乗るか、このまま歩き続けるか迷った挙句に結局後者になった訳ですが、今考えると何でそんなに歩くことに拘ったのか(しかもこんな天気で・・・)不思議です。写真集に乗った作品のインパクトが余程大きかったのでしょうね。
ティーレマン・ファンさん
返信削除私も北海道では撮る方より専ら乗る方でした。
雪中行軍を避けて安直に乗り鉄に徹したのかもですが(笑)、1次・2次廃止線が山のようにあり撮影よりこれらを優先したせいかも知れないですね。当時いくらでも走っていた客車列車やキハ82など、もっと撮っておくべきでした。