▲近畿日本鉄道モニ212 日永 1982-9
さて、明けてまたも生憎の空模様。
しかし初めての内部・八王子線、ここで引き下がる訳にはいきません。雨脚は強くなる一方で少し不安になってきますが、めげずに先ずは内部まで乗車です。
しかし初めての内部・八王子線、ここで引き下がる訳にはいきません。雨脚は強くなる一方で少し不安になってきますが、めげずに先ずは内部まで乗車です。
車庫で来意を告げると、「こんな大荒れの日に何しに来たんですか」と驚いた風ながらすぐに見学許可をくれ、狭い構内にひしめくデンシャを見て回ります。
▲内部 1982-9
かつては前面のRが利いた旧松阪鉄道・モ230形など無骨で好ましいデンシャもいましたが、1977年、北勢線に270形が登場するや状態の良い中古車が大挙して押し寄せ、玉突き式に引退してしまいました。
北勢鉄道出自のモニ220形。
北勢線のヌシの印象が強い220形ですが、内部・八王子線にも転籍組を含め5両が在籍していました。こちらは事故復旧時に四日市方が2枚窓になった、異色のモニ225です。
戦後生まれのサ150形は延べ12両の大所帯でした。
軽便客車にしては大人しいスタイルで面白味には欠けますが、開業時からの雑多な木造車の画一化に一役買いました。
軽便客車にしては大人しいスタイルで面白味には欠けますが、開業時からの雑多な木造車の画一化に一役買いました。
150形の後輩格、サ130形。
矩形の150形に比べると丸みの強い車体です。
▲いずれも内部 1982-9
▲いずれも日永 1982-9
風雨はいよいよ強くなり、ここでついにギブアップ。最後のカットはブレないようにと、顔面にカメラを押し付けるように撮りました。
▲日永 1982-9
全身水浸しで四日市へ、このまま帰京することにします。
▲いずれも近鉄四日市 1982-9
さて這う這うの体で帰途に就いたものの、時すでに遅し。
直後に上陸した台風のお蔭で新幹線に崖崩れが発生し、浜松の少し手前、半端な所でストップしてしまいました。
現在のように計画運休など考えられない国鉄時代。
急遽仕立てられた救援列車が横付けされ、踏み板を伝って乗り込むとあとは下り線を至極ノロノロと上って行きます。疲れ切った身体で碌にニュースを見る余裕もなかったのか、台風が近付いていようとは知る由もありませんでした。
初体験の夜行新幹線で東京駅に辿り着いたのは、この10時間後のことでした。
▲内部 1982-9