遠隔地にも拘らず、沿線の風光に惹かれて何度も通った片上鉄道。
しかし、旧国鉄キハ07の702とは巡り合わせが悪く会えたのはたったの2回、しかも1回は雨、残りは夕刻の1往復だけという有様でした。
1991年3月、この日は学生時代の鉄研仲間と徒党を組んでの訪問です。
屋台骨だった鉱石輸送は既になくなり、起死回生を図った観光鉄道への転身も頓挫、と万策尽きた感ありの頃でした。この年3月末の廃線予定が代替バスの事情で3か月間の延命、元から少ない列車が2時間に1本程度と更に寂しくなっていました。
この日は寝台特急「瀬戸」を奮発、勇んで早暁の和気を降りると、向かいのホームには片上行のキハ702がポツンと待っているのが見えました。これは幸先良いスタートです。
続いて柵原行のキハ303も入線。
和気ではどの列車も長時間停車のため、しばらく彼らを観察です。いつもキハが付けているヘッドマークがなく、駅員さんに聞いてみると盗難予防のため外している由。やはりと言うべきか、いつの時代も廃線が騒がれ出すとナラズ者が跳梁し始めますね。
▲いずれも和気 1991-3
先ずは混合列車「1レ」を押さえるべく、こちらで下車。
朝から小雨の降る鉛空で、露出もモチベーションも低空飛行ながらこれは外せません。
▲中山 1991-3
先ほど乗ったキハ702が片上から折り返して来ました。
程なくしてこれが和気で1レの殿につき、Uターンして来る筈です。
待つこと1時間、やって来ました。
相変わらずのドンヨリ空ですが、本日のメインですから2台体制で構えます。これに貨車が連なっていた頃は壮観だったでしょう。
1レに続いてやって来る片上行を和気側で待ち構えました。
ここからは鉄研メンバーと合流、レンタカーでの撮り歩きを開始。列車本数が一段と減り「乗って撮って」のハードルは南部縦貫並みの高さでしたから、ここで徒党の利を活かさない手はありません。
次は片上線の象徴とも言うべき吉井川をフレームに入れることにしました。
朝方はキハ303と702という最高の布陣でしたが、途中からやはり800形も出動して来ます。まだ花の時期には早いようでした。
▲天瀬-河本 1991-3
のんびりと流れる吉井川を横目に、こちらも至極のんびりと走ります。
前日までの雨のせいでしょうか、茶色く濁った川面が惜しいところです。
画像を見ると貨車がありませんということですが、自分が行った時(1988年)では片上駅にコンテナ車が数両あって荷扱いしてました。廃止される直前であればたまたまなかったものと考えます。客車も国鉄オハ61系の17メートルタイプで乗り心地はあまりよくありませんでした。
返信削除※画像にあるオハフ33は知りません。
終着駅まで向かう列車は極めて少く夜に出発する混合列車でないと行かれません。観光地でないとどこも同じような光景です。
taiitisさん
返信削除1988年半ばに貨物輸送自体を廃止していますので、この時点ではコンテナもなかったと思います。国鉄オハ35が転入してくる前の初代ブルートレインはホハ2000形の独壇場でしたが、このホハ2000が曲者で台枠は戦災復旧の国電やナハ22000を使っているらしいです。