1970年代の上野。
50代以上の元鉄道少年ならばコンパクトカメラ片手に高架・地上ホームを行ったり来たりしながら、朝から晩まで粘った方も多いことでしょう。
当時の東北本線や上信越線、常磐線は特急列車が錯綜を極め、しかも同じ列車名で複数の形式を使ったり電車と客車があったりしましたから、当時の鉄道少年らをワシ摑みにしたのも当然でした。彼らは「全ての列車で全ての形式を」コンプリートすべくホームを文字どおり奔走し、当然管理人もその中の一人でした。
しかし当時の撮り方は皆同じで、列車の先頭を大写しにするスナップばかり。
あと三歩、いや十歩退いていれば乗降風景や駅全体の空気感が写り込んだだろうに、と未だに悔いること数知れずですが、今回はそんな少年時代のオソマツ写真からお送りします。
▲上野 1978-9
先ずは東北本線です。
どの路線にも看板列車というかエース級の列車がありましたが、ここはやはり15往復を誇った「ひばり」でしょう。1961年にキハ82で運行が始まった伝統ある列車で、特に485系ボンネット形は東北特急の象徴でした。
▲栗橋-古河 1977-8
▲上野 1978-9
ボンネット形と並んで多く見られたのは485系200番代。
1970年代後半から非貫通の300番代へと交代が進み、東北特急の新しい顔になっていきます。
▲上野 1977-5
▲間々田-小山 1975-11
▲上野 1975-1
異彩を放っていたのが1往復(下り4号・上り10号)の583系。
1973年から5年間だけの運行でした。ヘッドサインのロゴは微妙に異なる2種類がありました。
▲栗橋-古河 1977-8
▲上野 1974-8
「ひばり」と並んで人気列車だったのが青森行の「はつかり」。
元々はC62の牽く常磐線特急にして初の東北特急、そしてキハ81がデビューを飾った列車であることは周知のとおりですが、管理人世代にとっては583系の代名詞的な存在でした。
▲栗橋-古河 1977-8
▲間々田-小山 1975-11
▲上野 1978-9
「ひばり」や「はつかり」の陰に隠れて目立たない存在ながら、こちらも外せません。
山形行「やまばと」も当初キハ82で登場、1968年の山形電化と同時に485系化されています。一方の盛岡行「やまびこ」は65年のデビュー時から電車運転。双方とも本数は少ないながら、この後L特急化されました。
▲いずれも上野 上:1975-10 下:1977-5
秋田方面を受け持つはキハ181「つばさ」。
最後まで残った上野口のディーゼル特急でした。
▲上野 1974-1
上野を発車する臨時「つばさ51号」。
秋田特急の需要は高かったようで、盆暮れ以外でも見掛ける機会は多かったように記憶しています。グリーン車や食堂車がついていない14系での長旅はキツかったでしょうね。
1975年11月、奥羽線の全線電化に伴い「つばさ」は485系化されます。最終運転日には尾久で発車式が行われ、ヘッドサイン部にモールを付けて花道を飾りました。
▲間々田-小山 1975-11
▲上野 1977-5
昼間の慌しい時間が過ぎると、今度は北へ向かう夜行列車の出番です。
青森方面では伝統の「はくつる」に加え奥羽線の「あけぼの」、短命に終わった「北星」が発車していきました。
正面改札にずらりと下がった列車名の札、ホームに座り込んで待つ帰省客、澱んだ地上ホームの空気感、10系寝台のタラップ・・・夜の上野には独特の風情というか「匂い」がありました。
「間々田-小山」のいくつかの写真の奥に映り込む、水戸線短絡線の現役姿にドキドキです!
返信削除最寄りは浦添前田駅さん
返信削除短絡線を走る唯一の列車「つくばね」を思い出します。
東北線急行が全部停車する小山を通らないとは何者、と子供心に不思議に思ったものです。廃線になった後も、線路敷は残っているそうですね。
上野駅、正に夢の舞台でしたよね、、、ホント何時間でもいられましたよね~
返信削除家族で東京に出かけたときは、長岡行き夜行で帰る機会が多く、郵袋が次々と投げ込まれていく風景が好きでした。
もう一度、体験したいですね、、、
ティーレマン・マニアさん
返信削除70・80年代を過ごした鉄道少年にとって上野はまさに聖地でした。
朝イチの「ゆうづる」から始まって上野と東京を往復し、暗くなるまで撮り続けるというのを何度繰り返したか分かりません。下り夜行のスニ・ワサフの搬入風景やターレットも上野の象徴的な風景でしたね。列車ばかりでなくこうした風景も残しておくべきだったと今も思います。