2023年2月14日

本日のインスタ投稿から(10)

▲小野田線クモハ42006 雀田 1992-12

「本山支線」のクモハ42は営業用としては最後の旧型国電。
宇部・小野田線へは1980年から何度か出向く機会がありましたが、運が良いのか悪いのか、本山支線にいたのはクモハ40ばかり。国鉄時代はついに会うことは叶いませんでした。

時は移ってJR化後の92年、九州行の道すがらに何度目かの正直。
既に2両のクモハ42以外は引退していましたから今度はハズレようもなく、警戒色が消された美しいご尊顔を拝すことができました。


▲いずれも雀田-浜河内 1992-12

沿線にこれといった見所はなく、2.3kmの車窓はあっという間に終わってしまいます。
平凡な走行シーンを押さえて雀田に戻ってみると、既に昼寝モードに突入していました。

▲いずれも雀田 1992-12

初めて宇部・小野田線を訪問したのは1980年秋。この日のクモハ42は終日本線の3連に入っていました。
▲宇部新川 1980-9



▲宇部岬 1980-6

現在の小野田線は105系と共にこの123系が活躍中。
クモハ42を追いやった仇とは言え、前歴がクモニのせいかこの国電顔は憎めません。新性能車で初の単行用ということも特筆できますね。
▲小野田 1992-12

国鉄時代の最後の訪問は、鉄研仲間と徒党を組んで九州は高千穂への合宿に向かう折。この年は珍しく大雪に見舞われました。登場したばかりの105系が試運転を開始し、旧型の命脈も尽きようとしていました。




▲いずれも深溝-周防佐山 1981-2

3 件のコメント:

  1. こんにちは。
    焦茶色の旧型国電がのんびりと走っていたのだろうと思います。
    走らない時間が長いとパンタグラフを降ろしてしまうのですね。
    貨物輸送を目的とした小さな私鉄の面影が何十年が経ってもそのまま残っているように感じられます。
    ごつごつした車体、何度も塗られたペンキの質感、ローカル線の末端を走るだけの姿の中にも、車両の歴史が詰まっているようです。
    多くの銘板が勲章のようですね。
    現在の123系も同じように、幹線を走り、その後の改造を重ねて今に至っていると思います。
    電車の単行だけが走るJRとしては珍しい路線、いつか訪ねてみたいと思っていましたが、お写真を拝見し改めて魅力を感じました。

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    1. 風旅記さん

      今回もありがとうございます。
      この頃既に旧型国電は風前の灯で、数えるほどの線区でしかお目にかかることは出来ませんでした。なので、当線を始め、末期の身延線や大糸線には随分と通いましたが、温かみのある木の内装やオイルの匂いのする床の触感などは未だに記憶に残っています。現在のオシャレだけど無機質で冷たい車内と好対照でした。

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  2. お返事ありがとうございました。
    色を塗る鉄と無塗装のステンレスやアルミ、ペンキとカッティングシート、木と金属、鉄や真鍮とプラスチック、素材が違えば感じられる空気感まで変わってきますね。
    昔の車両の方がごつくて重かったはずなのに、今の新車の方が硬質に感じられるのは不思議なものです。
    いつもお写真を楽しく拝見させて頂いております。ありがとうございます。

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