2024年1月21日

最後の583を追う その1


▲583系「はくつる」 赤羽-浦和 2002-10

「月光型」との出会いは小学生時代、同級生から借りた「鉄道ジャーナル」誌に大画面で載っていた東京駅での「はつかり」でした。雪にまみれた車体をローアングルから見上げる姿に一目惚れ、以来20系客車と共に最も好きな国鉄車両になりました。

2002年、この年は夏から秋にかけて臨時列車やイベント列車での出動が目白押しで、当時の管理人としては珍しく「旬」な列車を追う機会が増えた年でした。前年秋、月1ペースでこれでもかと通い詰めた名鉄揖斐・谷汲線が廃止され、その「ロス状態」から抜け出す機会を探していた時期と重なります。



▲90年代は活躍の場も多かった 尾久-赤羽 1992-8

・・・という訳で、今回は臨時にイベント列車にと頻繁に駆り出された2002年の姿を集めてみました。

先ずは夏に登場したリバイバル「ひばり」。
485系オンリーの印象がある「ひばり」は下り4号・上り10号だけは間合い運用の583系が充当。13往復になった1973年から78年ダイヤ白紙改正までの、たった5年間の運用でした。

この時はJRの儲け主義のせいか車両運用の都合か、上下列車をわざわざ別の日に運転という策動です。しかしまんまとそれに乗せられ、たった1本のために白河の一つ先・久田野で待ち構えることにしました。




撮影ポイントを物色しながら周辺をあちこち徘徊した挙句、どうしても「ひばり」のヘッドサインを強調したくて前面アップの無難なアングルを選択。

しかし、やって来たのは何とイラスト入りでした。
「リバイバル」と言うからには往年の文字マークに違いないと信じ込んでいただけに、衝撃と失望はかなりのものでした。

▲いずれも白河-久田野 2002-9

▲期待したイメージはこちら 小山 1977-5

後で知った話ですが、上野方のヘッドサインは文字だけだった由。
この時は仙台方だけの一発必中でしたから、背後は見向きもしませんでした。そんな余計な演出いらんがな!!と地団駄を踏むも、後の祭りでした。
▲上のカットとフォントが微妙に違います 上野 1974-8

「はつかり」は583系の代名詞にして東北遠距離特急のシンボルでした。
カメラを持ち始めて間もない頃、初見参の上野で最初に出会ったのも因縁の「はつかり」でした。
▲栗橋-古河 1977-8

▲上野 1973-9

2002年晩秋、同じくリバイバル運行で「思い出のはつかり号」がお出ましとの報。
東北特急「思入れ度」トップの列車ですから、これは見逃せません。多くの同業者が集まる撮影名所には食指が動きませんが、この時は陽が傾き始めたこちらで辛抱強く待ち受けました。



しかし晩秋の夕暮れは早く、本命がやって来る直前に日没。
ガッカリしている暇はなく、モノクロに切り替えて仕留めます。長年親しんだ「ミスター東北特急」でしたが、これが最後のカットになりました。

▲いずれも氏家-蒲須坂 2002-11

「はつかり」と共に長い歴史を誇ったのは「はくつる」。
青森までのロングランを最短時間で結ぶとあって、南部縦貫鉄道や津軽鉄道など東北撮影行では随分とお世話になりました。


▲上野 1977-5

この年の「はくつる」はイベントではなく、秋の行楽シーズン臨時列車として運行。
上野着がとにかく早く、始発電車で出向いても間に合いませんから、赤羽駅近くの超格安カプセルホテルに前泊することにしました。

昨今の赤羽は「住みたい街ランキング」で最上位に躍り出、「バネジョ」なるワードもあるらしいですが、当時、特に夜はコワイ街でした。駅前に出るや怪しいおっちゃん連中に取り囲まれ、「今夜泊まる所ある?」「いい娘いるよ」などと矢継早に誘われ、振り払うのに一苦労したのも今となっては良い思い出かもです。

さて明けて翌日、ホーム端からお手軽に撮れそうな川口で下車。薄明を突いてやって来る上り列車を待ち受けます。

大宮への回送列車が来る頃になって、ようやく低い陽が差してきました。


振り返ってISO800でも一枚。
超硬調に仕上がってしまったフィルムも、デジタルの恩恵で何とか見られる画になりました。


川口近くの跨線橋から「あけぼの」も捕らえます。
車内ではチャイムが鳴り、乗客らも伸びをしたり荷物整理をしている頃でしょう。

▲いずれも赤羽-浦和 2002-10

・・・とここで枚数を稼いでしまいました。
次回に続きます。
▲上野 2002-10

6 件のコメント:

  1. 高校の修学旅行は東北縦断だったのですが、学年を2つに分け往復で在来線・新幹線それぞれ利用するコースとなりました。
    当方らは大宮から一ノ関まで新幹線、帰りは三沢から大宮まで485はつかりの利用となりましたが、逆コースは行きに583はつかり乗車となったようです。
    当方583としての乗車はエキスポライナーの短区間でしたが、7時間もボックスシートに押し込まれての旅程は退屈だっただろうなと思い出しました。

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  2. いつも、楽しく拝見しております。
    583系、いいですねぇ〜。懐かしくて泣けてきます(^^;
    私は、昨年秋に還暦を迎えた身ですが、30年ぐらい前までは撮り鉄で、好物は国鉄型幹線的長編成系だったので(弊ブログでチョット紹介)、583系は絶対に撮り逃してはいけない大事な被写体でした。
    今の実物車輌、撮影環境、鉄道会社の姿勢などを眺めると、いい時代に撮り鉄やれて、ホントに良かったなぁ〜と思います^_^

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  3. モハメイドペーパー2024年1月23日 11:14

    寝台として乗ったのは山陽筋の「月光」だから581系です。後につくば博の臨時列車でサロに乗り、リクライニングシートを倒したら、天井が遙か上にありました。クーラーの調整スイッチに手が届かないので、車掌は専用の操作棒を持っていました。

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  4. 12号線さん

    今ならばボックスシートでの長距離も贅沢な旅になりますが、583全盛期の頃は苦痛だったでしょうね。「みちのく」などは果たして全区間乗る客がいたのかと思ってしまいます。私は「はくつる」の2段部分(パンタ下)が専らのごヒイキでした。

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  5. 天ヶ谷さとしさん

    有難うございます。
    全国を撮り回っていた1980-90年頃は、丁度国鉄も私鉄も魅力的な車両が数多く棲息していた最後の時代でしたね(私は未だに60年代に撮れたら、と妄想していますが)。

    ブログ拝見しました。ブルトレや583が北東北を飛ばす姿、やはり魅力的ですね。JR化後も国鉄型がまだまだいた時代でした。

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  6. モハメイドペーパーさん

    私は寝台でしたか乗ったことがないですが、座席だと固定のボックスという「苦行」にさえ目を瞑れば広々快適空間だったでしょうね。
    「月光」始め、「はと」「つばめ」「みどり」「きりしま」と西の特急陣にはついに会えなかったので、鉄道少年時代からの永遠の憧れになっています。「サロ」も体験されたのですね、羨ましいなあ。

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