▲上信電鉄クハニ13と観光バス 高崎 1958-8
上信鋼体化車シリーズ、デハ20形を続けます。
デハ22・23のルーツは電化開業時に登場した自社発注車で、更新時期が1960年と最も新しいグループ。デハ20・21からは一変、シル・ヘッダーなしの近代的な車体に変わっています。両運が幸いし、81年の戦列離脱後もデハ11の後継として高崎の入換用に残りました。
こちらはデハ22の前身・デハニ4。
鋼体化直前の頃で、二重屋根にジーメンスの巨大パンタとオリジナルに近い姿です。
車体は日車製、台車はブリル27MCB-Ⅱながら、モーターや制御機器はジーメンス製で占められており、ご存知デキ1もマンとジーメンス。電化工事に採用した機械類がドイツ製品だった経緯によると言われていますが、アメリカやイギリス製が圧倒的に多かったこの時代としては特異なケースでした。
▲高崎 1958-8
鋼体化後の姿。
現場の使い勝手が良かったようで、250・6000形が登場するまではデハ23と共に出動機会が最も多かった車両でした。
▲高崎 1980-11
1981年春に構内入換用となり、淡いピンク+白帯+前面社紋入となったデハ22。
背後の看板「カッパピア」は上信の子会社が運営していた遊園地で、流れるプールが売りでしたが2003年に閉園されています。
▲高崎 1981-2
前歴も更新時期もデハ22と同じながら、こちらは片運転台のデハ23。
▲高崎 1975-10
僚車デハ22が構内入換え用になった後も、デハ23は区間列車用として最晩年を過ごしていました。
デハ23車内には謎のテレビ画面。
ブラウン管はなく前面だけを剥がしてくっ付けたようで、一体どういう使い方をしていたのでしょうか。
▲いずれも高崎 1981-9
デハニ30形も元自社発注車で、2両在籍。
デハニ30の前身は付随車・サハニ1で、戦後台枠だけを再利用し、これに国鉄から調達した中古品のモーター・台車に新造車体を組み合わせて誕生しました。晩年はデハ20を中間に組み込んだ3連が多く見られました。
▲南高崎-根小屋 1977-8
▲高崎 1977-8
デハニ30の廃車は1981年4月とされていますが、その半年前からパンタが外され構内の片隅に据え置かれたままになっていました。
▲いずれも高崎 1980-11
鋼体化車仲間が1981年前後に相次いで撤退する中、予備車として91年まで在籍しました。こちらは最晩年の頃、クハ21を従えて朝ラッシュ運用に就く姿です。
▲馬庭-吉井 1980-11
デハニ31の前身は自社発注のデハニ2。
このカットが記録されて間もなく鋼体化されます。
まだジーメンスの巨大パンタを載せていますが、台車・モーターは国鉄中古品(TR14形・MT4形)に換装されています。
▲下仁田 1960-10
パンタも交換され、お馴染みの姿になりました。
▲高崎 1962-3
予備車として余生を過ごすデハニ31。
区間運転はデハ23が、構内入換え任務はデハ22が担っていましたから、ほとんど出番はありませんでした。
▲高崎 1981-9
小口の貨物輸送が華やかだった時代、地方私鉄には各社オリジナルの貨車が多数棲息しており、国鉄からの直通列車に混じって凸凹編成を組んだり、旅客車の尻につながれてミキストで走る姿が日常的に見られました。
ご他聞に漏れず、上信線にも「ワ」「ト」「テ」といった自社製品が在籍。
こちらは上のデハニ31と同じフィルムにあったワフですが、隣の国鉄型に比べると如何に可愛らしいサイズだったかがわかります。
・・・ただでさえ不人気&マニアックな記事なのに、しつこくまだ続けます。
▲高崎 1960-10