▲一畑電車デハ53+52 大寺-美談 2008-10
2008年夏だったか、雑誌の片隅に「デハニ52+53の臨時列車が出雲市-雲州平田を2往復する」との記事を見つけ、しばらく考え込みました。
力行姿を渇望するもデハニには振られ続け、走る姿を拝んだのは1982年夏の1回だけです。
この頃は既に定期運行から外れてはいましたが、お座敷電車に改装され当面は安泰だろう、しかし北松江線の近代化も完了しいつ引退してもおかしくないお年頃、ここは機を逃してはマズイと強引に自分を納得させ、大枚をはたいて一路松江に向かいました。
▲旅伏-雲州平田 2008-10
さて丸1日かけて到着、早速撮影ポイント探しです。
先ずは馴染みの大寺の様子を見てみますが、ホームには素っ気ない待合所ができ、周辺は田圃がつぶされて新しい道路や住宅ばかりが目立ちます。田圃の中にポツンと佇む可愛らしい木造駅舎、という風情は20年の経過と共に全く消え失せていました。
▲いずれも大寺 上:2008-10 下:1994-8
大寺は諦めて更に徘徊。
合間にはビミョーな装束の南海丸ズームがやって来ます。練習代わりに撮っていた感ありながら、今となっては正解でした。
▲旅伏-雲州平田 2008-10
始発電車が走り出す頃から撮影場所を散々探した挙句、結局前後が押さえられる一畑口のホーム先端に陣取ってひたすらデハニを待ちました。デハ20形+デハニの3連しか頭になかったですから、これが視界に入った時のショックは未だに忘れられません。
▲恨めしやの3両編成 いずれも一畑口 1994-8
そんなことを思い出しながら雲州平田近くの跨線橋で構えていると、本命がやってきました。一畑電車はとにかく物凄いスピードというイメージがありますが、お座敷電車だからか至極ノンビリと走っているように見えます。
すぐに折り返して来る復路も同じ跨線橋の反対側で。
窓が木枠のまま残るデハニ52の走行シーンはこれが初めてでした。
▲いずれも旅伏-雲州平田 2008-10
今回の運転区間は風景的には今一つ。
以前撮り歩いた場所はどこも住宅地になっていたり道路が広がっていたりで別物のように変貌し、年月を痛感します。散々歩き回り、線路端の小道が昔のまま残っていた大寺-美談で短い旅を締めることにしました。
沿道に咲くコスモスを強引にフレームに入れてみます。
乗客らと何か話していたのか、運転士の笑顔が印象的でした。結局この日は秋の陽が顔を見せることはありませんでした。
▲いずれも大寺-美談 2008-10
最後の1本は「推し」のデハニ52のお顔アップを狙います。
暗い空のせいで露出が上がらず、ピンぼけになってしまいました。
▲いずれも大寺-美談 2008-10
振り返ると美談駅。
ここにも味気ない待合所が建ち、駅舎は消えていました。大寺、布崎、旅伏、園、伊野灘・・・かつては小駅にも委託のおばちゃん駅長がいましたが、1970年代後半から次々に無人化され、乗客らとのやり取りもなくなっていきました。
この頃は駅舎の改築も完了、既にこうした風景は過去のものになっていました。
途中の有人駅も川跡と雲州平田のみで、残りは悉く無人化されています。これらのカットを眺めながら、窓口で入場券を所望したり補充券を作ってもらったり、川跡のおばちゃん駅長になる大音声の名物アナウンスにしばし思いを馳せました。