▲常磐線401系 勝田 1973-11
東武鉄道を始め、栃木・群馬をナワバリとしていた鉄道少年にとって、茨城県は未踏の地でした。時刻表を広げると、関東鉄道を筆頭に茨城交通、日立電鉄とまだ見ぬ路線が多数。
時は73年晩秋、「大物」の関東鉄道以外をまず見てやろうと、両毛線・水戸線を乗り継いで水戸へ向かいました。水戸駅の構内は現在より広く、当時の主役・ED75やEF80たちが屯ろしていました。
7番線からの光景。当時の国鉄はストが頻発し、スローガンを殴り書きした痛々しい車両を至る所で見かけました。この時は当然、意味も分からず撮っています。
さて、まずは茨城交通を目指して勝田へ。
旧羽幌炭鉱のキハ22形が客待ちをしていました。1番線から発車する光景は現在と変わりませんが、左の側線は全て撤去され駐車場と化しています。
▲いずれも勝田 1973-11
まだ貨物輸送が華やかなりし頃で、ケキ100形も入換に大忙しでした。
・・・・とここで12枚撮りカラーは終わってしまいモノクロに入換えです。
ケキ+貨車+キハの混合列車もありました。初めて見て驚いたので、何とか混結を目立たそうと子どもなりに考えて、こんな撮り方をしています。
次の列車で大甕を目指します。
・・・・次回へ続きます。
常磐線にはS57まで客車列車もありましたので、デッキから見る北千住通過のアグレッシブな走りは忘れられません。
返信削除ところで日立電鉄のスナップ、右側のダルマさんは元木造国電のなれの果てでしょうか?
12号線さん
返信削除EF80の牽く客レは魅力的でしたね。
当時は当然のようにやっていましたが、走行中にデッキから外を見るなど今考えると信じられないです。発車直後の飛び乗りも良くやりました。
日立のダルマさん、お察しのとおり旧院電のクハ141です。90年くらいまで残っていたと思います。