▲ナハネフ22「あけぼの」 尾久-赤羽 1980-5
小学校に上がる時分の年端だったと思いますが、デンシャ図鑑を繰っていた手が止まり、吸い寄せられたのがEF60牽引の「あさかぜ」。爾来20系客車は長く憧れの存在になりました。
近場で東武や両毛線を撮り回るのに慣れてくると早速20系に会いたくなり、勇躍上野に降り立ったのは小6秋のことでした。
初めて会った20系は憧れの「あさかぜ」。
「引き」がなくパンタ・車体切れのオソマツ写真ですが、もう夢見心地で気にも留めませんでした。かつて14・15番線があった場所では東北・上越新幹線工事の真っ只中です。
12・13番線は九州方面の特急を始め、157系「あまぎ」や急行列車も発着する最も華やぐホーム。横須賀線も地上時代で、新幹線は0系オンリーでした。
▲いずれも東京 1973-9
それからというもの、東京方面へ行くとこのホームへ向かうのが恒例になります。
20系は当時から鉄道少年らの人気の的でしたが、この頃は混雑もなくノンビリしたものでした。
▲いずれも東京 1974-5
寝台列車の頂点に君臨した彼らですが、75年3月の白紙ダイヤ改正で一大転機を迎えます。東京・大阪口から特急運用の大半が撤退、残るは上野口と臨時列車だけになりますが、中でも最も長命だったのが「あけぼの」でした。
▲いずれも上野 1974-5
▲いずれも上野 1978-9
象徴ともいうべきナハネフ22はこれに先立つ80年春に引退、最後の「あけぼの3・4号」の殿は切妻のナハネフ23が務めていました。
その後は急行や季節列車に充当されながら98年まで命脈を保ちますが、やはり20系といえば3本ラインの入った編成美、そして特急で疾駆する姿が一番似合いますね。
冷房がついても寝台は狭いまなのですが、やはり20系は特別な存在といえますね。
返信削除20系の台形列車表示器を模した看板がありました、東京機関区の庫も無くなってしまいましたね。
返信削除東海道新幹線乗車中、かつての品川界隈を見出すのも難しい有様です。
昭和を感じさせられる車両たちですね。
返信削除当方が最も気に入っている車両形式が、20系客車です。
学生時代には、小高模型のキットを組み立てて、学園祭レイアウトでも走らせていました。
モハメイドペーパーさん
返信削除20系は子どもの頃からの憧れでしたので、自分にとってもやはり特別な存在でした。
狭い3段寝台ながら全てが斬新で、これだけ衝撃的なデビューを果たした車両はあまりないのではと思います。残念ながら私は乗車は叶いませんでしたが、急行格下げ時代に無理して乗っておくべきでした。
12号線さん
返信削除学生の頃、列車が品川に近づくと首を伸ばして田町電車区と東京機関区の様子を伺うのが習慣でした。東海道線の上りと下りとで景色が違うのでこちらも楽しみでした。新駅完成後にはそんな思い出も跡形もなくなってしまいそうですね。東海道線を支えた立役者ですから、功績が語り継がれるようなものを遺してほしいです。
北マトさん
返信削除数ある特急形の中でも20系はやはり別格ですね!
当時は東京・上野に発着する全ての20系のナハネフ側とカニ側を写してやろうと意気込んでいました。
しかしやはり衝撃だったのは初めて見参した時の「あさかぜ」で、A寝台5両にナシにナロと超豪華編成、指をくわえていつまでも眺めていた思い出があります。いつか模型で再現して下さい(笑)!!
九州出身の私にとっては何と言ってもあさかぜですね。何度かお世話になりました(^^;;
返信削除やまぐち号さん
返信削除「あさかぜ」はブルトレの元祖&戦後初の夜行特急という顔があるので、他の特急と一味違った象徴的な列車という感じがしますね。九州でしかお目にかかれないED72・73牽引時代は見たかったものの一つですが、これ以外にも分割編成のナハネフ23やマヤ20などなど、70年代は魅力的だったなあと改めて思いました。
普通に見てた70年代が本当に懐かしです。
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