▲東武鉄道78系 玉ノ井 1980-5
1980年初夏のこと、田舎から上京して間もない幼気な鉄道少年は、入部したばかりの鉄研仲間と共に東武伊勢崎線へ。子どもの頃から馴染みのデンシャたちですが、浅草近郊で撮るのはこれが初めてでした。
まずは玉ノ井(現:東向島)へ向かいます。
早速やって来たのは78系、続いてDRCもやって来ました。
レンズが下に振れるクセの直らない管理人、折角のモニを「パンタ切れ」に・・・
前面窓やパンタ位置など73・78系の形態はバラエティに富んでいました。主役だった8000系列をほとんど撮っていないことに気がつきましたが、セイジクリームを纏った姿に些か嫌気が差していたのかも知れません。
▲いずれも玉ノ井 1980-5
続いて隣の曳舟へ。
こちらは程なくしてやってきた5700系回送。すぐに折返しでやって来た快速急行「おじか」に入りました。
登場間もない5000系第一陣はまだ非冷房です。
当時は彼らが引退することなど想像もできませんでした。
▲いずれも曳舟 1980-5
続いて牛田でも構えます。3枚目はこれまた非冷房時代の5000系です。
何年か前、かつて赤線地帯だったこの辺りを歩き回った時、立ち寄った喫茶店のマスターから「細かい色タイルを貼ってある家が『銘酒屋』の名残りですよ」と教えてもらいました。私娼街の残影はまだ少しあるようでしたが、負の遺産扱いされるのか大分寂れているように見えました。
8000系非冷房車の様に見えるのはいずれも5000系の第一陣ですね。
返信削除パンタやベンチレータなど外装部品は8000系冷房化による余剰パーツを用いたようですが、吊革だけは冷房車用の短い新品が付いていました。
後に東上線へ集結して8連組んだり、カステラ装飾をまとったりとその変化を楽しめたものでした。
12号線さん
返信削除5000系についてのご指摘ありがとうございます。せっかくなので本文も訂正しました。
今考えるともったいない話ですが、当時は5000・8000系にはあまり惹かれることなく、ついでに撮った記録しかありません。今回アップしたフィルムも写っているのは73・78系ばかりで、8000系や1800系が1枚もなく興味が偏っていたのを確認する破目になりました(苦笑)。
杉戸、幸手、羽生、中学生の頃の私には、どこなのか想像もつかない駅名ばかりでした。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除首都圏からだと伊勢崎線・日光線方面は大阪より縁遠い場所かも知れないですね(笑)。
佐野からですと羽生や杉戸は庭の延長のような感覚でしたが、首都圏の西側、西武線や京王線方面はえらく行きにくい感じがして、初乗車なったのは大分経ってからでした。