2018年7月21日

バケットカーと古典客車 その4

▲別府鉄道キハ2 別府港 1982-9

別府鉄道ハフ7は1926年、神中鉄道(現:相模鉄道)が発注した客車。
木造・ダブルルーフの2軸客車としては最も新しい部類ながら、スタイル・性能とも明治時代のそれと変わりありませんでした。

それはともかく、こんな古典車が普通に走っているのは全くもって不思議ですが、もともと旅客はオマケのような当線ですから、特段の投資が必要ないまま廃止を迎えた、というところでしょうか。
▲ハフ7 別府港 1982-9

さて、野口線の次はいよいよハフ7に乗車ですが、発車までの一時に機関区を瞥見。まずはこちら、前回乗車した旧相模のガソリン車・ハフ5です。
旧・佐久鉄道のキハ3は今回も同じ位置で昼寝中でした。 
こちらは片上鉄道からやって来た、旧国鉄キハ04のキハ101。
誕生年はバケットカーと大差ありませんが、国鉄仕様はやはり立派に見えます。
▲いずれも別府港 1982-9

ここで先発の野口線キハ2の発車を見送ります。
キハ2の姿がまだ視界から消えないうちに、ハフ7が入換を開始。
別府港の小さな駅舎には結構な数の駅員さんが詰めていましたが、この組成作業のためでした。
 
今日のハフはワム6両編成のしんがりを務めます。
▲いずれも別府港 1982-9
 
「ハフにやっと乗れた・・・」という感懐に浸り過ぎたのか、はたまたこの後に訪問する山陽電車に気が行ってしまったのか、列車内の写真が一枚も無いことに気付きましたが、後の祭り。上のコマに次に写っていたのは、土山駅のこのスナップでした。
▲土山 1982-9
 
▲別府港 1982-9

4 件のコメント:

  1. ハフ7は突放で入線させたのでしょうか?それとも人力で移動??
    またキハ3の「土山行」サボも気になりますね。客車代用でもしたのでしょうか。

    3で記しましたが、親戚夫婦が終の住処として購入しました巨大マンションの一室でした。
    ハフ7より2~3年後の産まれ、最後は垂水の療養施設に入居していました叔母も今春亡くなり今は訪れる名目もありません。
    https://imgur.com/jaKEZHm.jpg

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  2. 確かに、キハ3の土山行のサボは気になりますね。
    私が撮影したキハ3は修学旅行団臨で客車代用として
    土山線を走っていましたが
    サボはついていたのかなぁ…
    DL+ハフ5+ハフ7+キハ3みたいな編成でした。

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  3. 12号線さん

    特別のご縁があった路線だけに、廃止の際は感慨も一入であったと思います。
    ハフの入換作業は人力でヨイショと押している場面は記憶にないので、おそらく突放だったと思います。キハ3は滅多に動く機会がなかったらしく、サボは土山線への臨時に入った時のままになっていたのでしょうね。
    それから画像の紹介ありがとうございます。土山駅ののりば案内がそのまま保管されているのは初めて知りました。

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  4. にぶろくさん

    野口線のキハ2にも4箇所、律儀にサボを付けている当線のことですから、おそらく土山線の臨時列車に入ることがあったのでしょうね。DL+ハフ2両+キハ3というオールキャストの編成は私も見てみたったです。団臨でこのような列車が走るのは、普段それだけ少ない輸送力で済んでいるということですね。

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