▲カニ25「彗星」 門司 1980-9
別府鉄道や下津井電鉄を始め、セノハチ・可部線など国鉄線もテンコ盛りだった本州最後の日、宇部・小野田線の旧型国電を初めて訪問です。最後はこれらのカットで締めて、初めての九州入りを果たしました。
さて、夜の帳が下りた関門両駅の表情が見たくなり、銭湯探しを兼ねてまずは下関で下車。周遊券があれば、構内をウロチョロしても浮浪者のように外に追い出されることはありませんでした。
主要ターミナルでありながら、両駅とも森閑として寝台列車を待つ僅かな乗客以外、ほとんど人気はありませんでした。まずはこちら、普通客レを牽引する関門の主・EF30です。
▲いずれも下関 1980-9
「彗星」の殿を務めるカニ25は50.3改正後に誕生した、カニ22からの改造車。2両の少数世帯で、24系の仲間という変り種でした。
古い歴史を持つ両駅、改めて見ると鉄骨や上屋にそそられます。
あと10歩下がってシャッターを押していれば、もっと雰囲気ある画が出来たのに・・・と当時のスナップを見る度に後悔してしまう昨今です。
夜行列車の先行きに陰りが見えてきたとはいえ、今からみれば撮る対象はいくらでもありましたね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除そうなんです。
当時は「ブルトレも24系になってつまらなくなった」などとほざいていましたが、今考えると本当に贅沢でしたね。これ以外にも客レ・475系・DC急行など撮るものはいくらでもあった筈なのに、ほとんど記録していないこを悔やみましたが後の祭りでした。
カニ25のパッチワークは痛々しいのですが、バックサインの凛々しさが特別急行であることを物語ります。
返信削除ところ中央窓にはワイパーありますね。カニ25への改造直前の一年だけ青森配置されたことあるようです。
尾久へ推進運転という運転方式も、今や見ることの出来なくなった光景の一つかもしれません。
12号線さん
返信削除上野に次々到着する長距離客レが、これまた次々に推進運転で帰っていく様は本当に上野の風物詩でしたね。
カニ25は老体に鞭打ちという感じで、かなりくたびれた印象でした。お陰で20系の残党を後年まで見ることができた訳ですが、「明星」や「あかつき」に入った時代も見たかったです。1年だけ青森所属になっていたとは知りませんでした。