▲日立電鉄モハ10 大橋-川中子 1991-4
日立電鉄モハ9形9・10は、2軸車ばかりの同線にあって画期的な新車でした。
日立製であったため頑丈だったのか、手頃な車体長にワンマン化されたことも幸いし、在来車の中では長命で1997年まで命脈を保ちました。
日立が電装品から車体までを新造した例ではごく初期のものですが、1943年製ながら全体的に古めかしく、デッドストック品も流用したのではないかと言われています。
さて、1973年の「一覗き」以来何度か訪問してきた日立電鉄線、本日は在来車の引退が囁かれ始めた1991年の記録からです。
先ずは恒例、大甕駅で昼寝中のデンシャを観察。主力のモハ13形のほか、旧小田急・東急・宇部と相変わらずバラエティ豊かですが、その多くは色褪せていました。
本日の単行当番はモハ10です。早期にワンマン化されたことと手頃な大きさから、同期生のモハ9と共に、日中の単行運用に重宝されていました。
単行運用のもう一両は、元相模鉄道の電気式DC・食パン形のモハ14。沿線の田圃にも水が張られ始めました。
モハ10が常北太田駅で一休み中。
製造当初は両運転台とも非貫通でしたが、1963年に貫通扉を設置、その後もライト・ドア・窓に小変化を繰り返しながら現在の姿になりました。
もう1両のモハ9は鮎川にいました。
近代化したのにあっさり廃止されたのは意外でした。旧型のワンマン車に昔の京急の車掌スイッチ(運転士が操作する)が転用されていたのは、あまり知られていないようです。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除京急の部品が使われていたとは初めて聞きました。
この線は他に先んじてCTCやワンマンを導入し、田舎私鉄とはちょっと違うなという印象がありましたね。朝は3連4連が走っていましたし、全線を一気に廃止するほど旅客減が深刻だったとは直前まで知りませんでした。