2018年11月28日

北陸鉄道浅野川線 その2・凸凹編成が行く

▲北陸鉄道モハ3551ほか 三ツ屋-大河端 1995-8

定刻6:24、特急「北陸」が金沢に到着。
高架化なった金沢駅を訪れるのは初めてでしたが、重厚な地上駅が高架になった途端、狭苦しく薄っぺらに見えてくるのは年齢のせいだけではないでしょう。

それは兎も角、取る物も取り敢えず、真っ先に向かったのは北鉄浅野川線ホーム。雑多なデンシャたちの最後の活躍を記録しておくことが目的でした。

▲粟ヶ崎-内灘 1995-8

まず向かったのは三ツ屋駅です。
沿線では数少ない開けた場所で、ここでの最大の狙い目は朝の3連でした。
▲いずれも三ツ屋 1995-8

さて、浅野川沿いの土手で陣取っていると、先ずはクハ1301を先頭にした2連がやって来ました。クハ1301は1951年、モハ5100形としてデビューするも機器換装や車体更新を受け、モハ3763を経て現在の姿になっています。相方は元同僚のモハ5101でした。
続いてモハ3201やクハ1001を先頭にした2連・3連が次々にやってきます。
いずれも1950年代半ばから次々に誕生し、北鉄のイメージを一新した3000系列の一派で、河南線廃止に伴って当線へやって来ました。
▲いずれも三ツ口-三ツ屋
 
垂涎もののデンシャが闊歩していた1970年代以前に比べるべくもないですが、それでも個性豊かなオリジナル車が次々にやってくるのは楽しいものです。
▲いずれも三ツ屋 1995-8

・・・とここで枚数が行ってしまいました。
次回に続きます。
▲蚊爪-粟ヶ崎 1995-8

2018年11月21日

日立電鉄 モハ9

▲日立電鉄モハ10 大橋-川中子 1991-4

日立電鉄モハ9形9・10は、2軸車ばかりの同線にあって画期的な新車でした。
日立製であったため頑丈だったのか、手頃な車体長にワンマン化されたことも幸いし、在来車の中では長命で1997年まで命脈を保ちました。

日立が電装品から車体までを新造した例ではごく初期のものですが、1943年製ながら全体的に古めかしく、デッドストック品も流用したのではないかと言われています。
▲こちらはお馴染みの食パン電車 大橋-川中子 1987-8

さて、1973年の「一覗き」以来何度か訪問してきた日立電鉄線、本日は在来車の引退が囁かれ始めた1991年の記録からです。

先ずは恒例、大甕駅で昼寝中のデンシャを観察。主力のモハ13形のほか、旧小田急・東急・宇部と相変わらずバラエティ豊かですが、その多くは色褪せていました。
▲いずれも大甕 1991-4

沿線は至って平凡ながらいつも陣取るのはこちら、大橋-川中子のコンクリート橋。
本日の単行当番はモハ10です。早期にワンマン化されたことと手頃な大きさから、同期生のモハ9と共に、日中の単行運用に重宝されていました。

単行運用のもう一両は、元相模鉄道の電気式DC・食パン形のモハ14。沿線の田圃にも水が張られ始めました。
▲いずれも大橋-川中子 1991-4

モハ10が常北太田駅で一休み中。
製造当初は両運転台とも非貫通でしたが、1963年に貫通扉を設置、その後もライト・ドア・窓に小変化を繰り返しながら現在の姿になりました。
▲いずれも常北太田 1991-4

もう1両のモハ9は鮎川にいました。
▲鮎川 1991-4

登場から幾多の改造を経て、晩年はHゴムだらけの顔にウインドシル・ヘッダーの消滅など大分様相が変わりましたが、そこがまたローカル私鉄らしいと言えなくもありません。
▲鮎川 1987-8

2018年11月14日

北陸鉄道浅野川線

▲北陸鉄道モハ3011 北鉄金沢 1984-11

蒲原鉄道や新潟交通で目一杯活動するのが通常の新潟行ですが、この日は欲張って長岡から急行「能登」に乗車。早暁の富山で降り、向かったのは未訪問路線だった富山港線や北陸鉄道浅野川線、そして二度目の小松線でした。

▲東岩瀬-岩瀬浜 1984-11
 
▲城川原 1984-11
 
▲内灘 1984-11 
 
さて、地下化前の北鉄金沢駅は、ビルの片隅から遠慮がちに発着していました。
閑散時間帯のため、モハ3011単行が行ったり来たりです。3011を含めた3000系列は、1950年代半ばから次々に誕生し北鉄のイメージを一新した一派でした。
▲北鉄金沢 1984-11

早回りの折、後に控える小松線も気になってしまい途中下車はせずに内灘へ。
ここで見たかったのはクハ1203。1942年木南製・元モハ1800形で、仲間のモハ3563と共に現存するオリジナル車では最古参です。既に一線から外れているようで、ちょっとくたびれた状態でした。
こちらはクハ1211。
1955年、能登線にいた木造客車を鋼体化して登場しました。


主役級のモハ3551。
3000系列の仲間では最も遅く誕生したグループで、近代的なスタイルです。
かつてのポール集電時代は格好良かっただろなあとしばし妄想しますが、京王井の頭線からの8000系転入によって、他の仲間と共に淘汰の対象になりました。
本日の当番、モハ3011。
モハ3551の先輩格ですが、浅野川線から動かなかった3551に比べ、こちらは石川総線→金石線→浅野川線と流転を繰り返しました。

他にもモハ5101など魅力的なデンシャがいますが、狭い敷地に押し込められてちゃんと撮れません。5100形は戦後間もない頃登場した石川総線初の17m車で、同期組の5000形と共に同線区の代表格でした。
▲いずれも内灘 1984-11

これでオシマイ、再会を期して小松線へ急ぎます。
しかし果たせたのは以外に遅く、全車のヘッドライトが不格好になった90年代以降のことでした。

北陸鉄道小松線  →→  こちら

▲佐々木-軽海 1984-11

2018年11月7日

静岡鉄道 長沼にて

▲静岡鉄道20 長沼 1984-8
 
静岡鉄道は縁の薄い路線でした。
かつては秋葉線・駿遠線・静岡市内線などまさに垂涎の世界でしたが、当然その時代には間に合わず、1000形ばかりの静岡線だけではどうしても二の足を踏んでしまいます。
▲静鉄憧れの時代
 
そんな訳で、初訪問はカメラを持ち始めてから10年以上が経った1984年夏・・・とはいえ、この時も国鉄浜松機関区公開イベントのついででした。
営業車の主力は1000形や自社製300形ですが、しかしこの日最も見たかったのはこちらでした。
 
デワ1は1926年製、静岡電気鉄道時代からの生え抜き組。
長らく長沼庫の片隅で眠る日が続きましたが状態は良いようで、現在もイベントに駆り出されます。
 
鶴見臨港の面影を色濃く残すモハ18形20号は移動機扱いでした。一時は保存の話も俎上に上がったらしいですが解体されてしまい、これが一期一会になりました。
一方こちらは現役世代。
主役の1000形は12編成24両が在籍し、すっかり静鉄の顔になった感があります。
300形は全3編成6両が福井鉄道へ嫁ぎましたが、これも大挙してやってきた名鉄OBに取って代わられます。

こちらは最後の吊り掛け車となった351-352編成。既に朝夕だけの出動となっており、この直後に日立電鉄へ譲渡されます。
▲いずれも長沼 1984-8
 
日立に移った後、第一線で活躍中の351-352編成。
▲大橋-川中子 1991-4
 
一方、静鉄で忘れてならないのは100形。
自社製の新造車体に古い手持ち部品を組み合わせて誕生、アンバランスながら完全に自社で造ってしまうところは特筆に値します。同じく自社製の300形・350形のお手本になりました。吊り掛け車ながら使い勝手が良かったようで、熊本・日立両社へ嫁いだ後も長らく活躍します。
▲熊本電鉄モハ502 菊池 1980-9 
 
▲日立電鉄モハ110 大橋-川中子 1991-4

1973年、鮮烈なデビューを果たした1000形もいよいよ先が見えてきたようで、また後悔を繰り返さないように早めに訪問しなければ・・・と思う管理人でした。
▲常北太田 1991-4 
 
▲菊池 1980-9