2019年5月15日

雨空の下、別所線 その3

▲上田交通 上田原 1984-7 

凡そ新建材などとは縁のない木造部だらけの上田原車庫には、別所線を訪問した際には必ず立ち寄っていました。
駅舎や車庫建屋など、当時としては珍しく何枚も写しており、それだけ門外漢にも強烈なインパクトを与えたということでしょう。

さて、ここで漸く腰を落ち着かせて車庫を覗きます。
この古めかしいというには物足りない、凄まじい車庫(電車区)には750V時代のデンシャたちが実に似合っていました。

至る所に怪しげな物体が転がっていました。
改めて見ると、廃車体のドアを随分と有効活用しています。
信濃鉄道時代の車体も工作室として昇圧時まで活躍。
長電からやって来た2両のモハ600形のうち、611は部品取り用として動かぬまま終焉を迎えました。




駅舎やホームも壮絶さでは負けていません。
▲いずれも上田原 1984-7

車庫と一体となった別所温泉方面ホームにモハ5251が到着です。
別所線の象徴「丸窓」ことモハ5250形。
1984年から始まった巨大サボのお蔭で、せっかくの美形が・・・
▲いずれも上田原 1984-7
 
最後はこちら、上田駅で長電OBコンビをスナップです。
深い屋根に巨大パンタの「川造型」に上田カラーが良く似合っていました。
▲いずれも上田 1984-7
 
▲丸子線・真田傍陽線健在の頃

4 件のコメント:

  1. 廃線時の幕?が残る廃車体は元善光寺白馬電鉄のゼ100でしょうか。
    各線を経た仲間が集い、置かれた資材が典型的田舎電車の様相呈していますが、その煩雑さが見る者を虜にするのでしょう。

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  2. 12号線さん

    確かこれは西丸子線にいたモハ3121で、2両のゼ100形の1両の筈です。
    丸子線・真田傍陽線の諸々の資料が置かれており、老婆心ながらこの保管方法で大丈夫だろうかと心配になってしまいました。他にも飯山鉄道のサハの車体もありましたね。

    しかし、この頃は至るところに正体不明の部品がぞろぞろと置かれており、今考えると宝の山のようでした。普段ストラクチャをいあまり撮っていない私も、この時は例外でした。

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  3. 最後の切符写真、東京電環ゆき、というのは、所謂山手線区内という意味なのでしょうか?

    また、廃車体を含めた構造物、お知り合いの chitetsuさんに是非モジュール再現して欲しいものです。

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  4. 北マトさん

    お久しぶりです!
    電環とは中高年には懐かしい響きの「山手線内」のことです。キロ程で都区内行きだったり山手線内行きだったりと時代によって変わるようですが、この辺のウンチクはmaru-haどのが詳しいでしょうね。
    上田原の「魔境」電車区は是非ともchitetsuさんに再現して欲しいところですが、パーツが多すぎて難渋することでしょう(笑)。

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