最大量数を誇ったEF15、その改造機のEF16はその任務に加え、大人しいスタイルで地味な存在でした。戦前形のデンシャが闊歩していた当時からすれば振り向かれることも少なく、雑誌の特集と言えば1977年の「鉄道ファン」誌くらいでしょうか。
さて、夜間だけでフィルム2本分のコマを稼ぎました。
コンビニ1軒ない当時の駅前では腹を拵えることもままならず、若かったとは言え、何も食わずに平然と撮影行を続けます。昼間の優等列車が走りだすまでの寸刻を惜しむかのように、夜が明けても貨物列車が次々にやって来ました。
EF64-1000番台登場の序章として時折やって来た0番台の活躍は3カ月余りでした。
ガスのお蔭で露出は上がりませんが、ゆっくりと近付いてくる長大編成の貨物には充分でした。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6
当時嫌と言うほどやって来た115系や165系が1枚も写っておらず、今更ながらこの姿勢に後悔してしまいます。
峠の主として長く君臨したEF16も、この後間もなく登場するEF64-1000番台によってお役御免になりました。西のEF59と共に旧型補機の双璧でしたが、その一角が崩れました。
今回も素晴らしい写真に数々、ホントに堪能しました。
返信削除EF15やEF16だけでなく、EF640も私にとっては十分魅力的です、当時は悪者だったのでしょうが笑
機関車も魅力的ですが、貨物鉄の自分としてはやはり後ろに連なる貨車に目が行ってしまいますね~
ティーレマンファンさん
返信削除ありがとうございます!
この当時は新参者のEF64はもちろんEF15も首都圏で幾らでも見られましたので、ほとんど関心を持たれなかったと思います。EF64が一躍脚光を浴びるのは東海道・山陽線の荷物列車牽引機に「抜擢」されてからでしょうか。貨車も本当にバラエティに富んでいましたがこちらは殆ど記録できず、後悔しています。