2021年6月13日

奇々怪々・木造デンシャ その3

 ▲近江鉄道モハ2 高宮-尼子 2000-8 

近江鉄道の車歴を詳らかに解説した資料は50年以上前の「私鉄車両めぐり」、あとは社史くらいしか思い浮かびませんが、遥か昔の木造デンシャの経歴など、誰も関心を持たない分野なのかも知れません。

それはともかく、本来は地味で泥臭い車両趣味、最近は「単純で・軽く・お洒落で感覚的な方向」に傾いているような気もします。しかしかく言う管理人も、昔の記録を画像ソフトで加工し、SNSにアップして遊んだりしている訳ですから、あまり悪くも言えないのですが。


▲今回の「参考書」。小数派の奇車・珍車まで取り上げており、まるで車両小図鑑

さて、最後は最もアクの強いクハ1201形を紹介してみます。
先ずはこちら、今回の記事のきっかけになったクハ1208。

元は明治のマッチ箱客車二両分の台枠を合体、そこに木製新造車体を載せて1913年に誕生したフホハユニ30というボギー客車でした。1956年、(旧)西武鉄道が導入したモハ500形の車体に載せ替えた後の姿がこのカットで、当初からシングルルーフでした。


▲彦根 1960-4




▲こちらがフホハユニの時代。似ても似つかぬ姿です

しかしお気づきでしょうか、元明治の客車にしては奇妙な台車を履いています。
これは車体載せ替えに併せ、やはり西武から融通して貰った台車(汽車会社BW-54-18L)に
換装したためで、元は高野山電気鉄道(→南海)開業時のものとか。

それから僅か4年後、このカットが撮られて間もない頃ですが、今度は西武クハ1211形の車体に換装、台枠は新調され、台車も国鉄お古のTR11に替わりました。
この時点で明治から引き継いだ部品は全て消失、以降は車籍だけが連綿と続くことになります。


▲彦根 1960-4

仲間のクハ1205・1206は一足先にクハ1211形へのお色直しが完了。
再び500形に化けるまで、当線としては珍しく10年以上同じ姿を保つことになりました。



▲いずれも彦根 1960-4

ところで西武211・1211形と言えば、流山・新潟・蒲原など各地に散った武蔵野初の半鋼製車。管理人も何度か眼にできた馴染みのあるデンシャですが、特に蒲原のモハ71は廃線時まで現役でしたから、このスタイルには親しみを覚えます。

頑丈で使い勝手が良かったのか、上のクハ1208も同様の風体になった後、相方のモハ9と共に長く活躍することになりました。



▲いずれも村松 上:1990-9 下:1984-11

クハ1207の前歴も元明治の客車、フホハ29。
1208と似たような経緯を辿り、台車も同じのを履いています。

しかしこちらは1962年の鋼体化の際、これも西武経由で入手した上信電鉄クハニ21の車体
(←豊川鉄道モハ21)に載せ替えられており、1両だけ毛色の違うデンシャになりました。
1981年に廃車となりますが、車籍は500形に引き継がれます。




クハ1209は前歴のフホハユニ31から引き継いだ「ミニTR11」台車をそのまま使っています。

▲いずれも彦根 1960-4

・・・以上でオシマイです。
まさに千錯万綜としか言いようのない車歴迷宮、いかがでしたでしょうか。

今回は手元に記録が残る一部のデンシャだけの紹介でしたが、当然これら以外も同じ巨大迷路のような経歴が影のように付いて回ります。

全くの新造車扱いは旧西武401系の820系だけ。
残りは遥か明治・大正時代の大先輩から脈々と継承、しかも形式が枝分かれするわ、同一形式の2代目とかも出現するわですから、気も遠くなろうというものですね。

最後まで読んで頂いた方々、ありがとうございました&お疲れ様でした(笑)。

▲こちらは小田急1600形車体の「2代目」クハ1201形 米原 1984-7

▲高宮 2000-8

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