松山には「元気な街」という印象があります。
仕事絡みで何度か訪問する縁があり、その度に軌道線やバスで市内を徘徊していますが、一種独特の息吹というかエネルギーのようなものを感じます。
一大観光地を控えて街自体に活気があるのは勿論ながら、何より路面電車がひっきりなしに行き交う光景がそれを際立たせているお蔭、というのはヒイキ目でしょうか。
▲大街道-勝山町 2017-5
初訪問は新米社会人だった1985年、奮発した特急「瀬戸」と宇高連絡船で初めて四国に渡った時のことでした。
メインは琴電ながら、この時は松山から宇和島、高知、徳島と周遊券をフルに使いぐるりと一周しています。しかし早回り旅ゆえ伊予鉄はたった数時間、終焉間近の100形らを古町車庫で記録して気が済んだのか、市内線はほんの一覗きすらせずにオシマイでした。
▲いずれも瓦町 1985-5
さてそれから幾星霜。
琴電をしつこく訪れることはあっても伊予鉄にはついぞ行かず仕舞い、鉄道線がビミョーな京王車に世代交代したことも拍車を掛けました。
マトモに市内線を乗り回したのは2017年5月、この時も野暮用仕事の道すがらのことでした。ちょうど電車達がCIカラー「みかん電車」に変貌するとの情報を得て、これは急がねばと焦っていた矢先。
30年振りですから張り切って前泊、フリー乗車券であちこち徘徊しながら主要メンバーを抑えるべく市駅前からスタートです。
▲モハ73 松山市駅前 2017-5
まずは4路線が行き交う南堀端電停で構えることにしました。
電車のバラエティは豊かながら、在来種の形式は全て50形に統一されています。
管理人的に最も惹かれる最古参の1951年製グループ(51-53)は、都電6000形や土佐電200形と同系。大人しいスタイルで特徴はありませんが、デビューから60年経ってなお矍鑠としています。まだみかん電車に変身したメンバーはいないようでした。
モノコック車体の最終グループ(70-78)はみかん率50%といったところでしょうか。
▲いずれも南堀端-市役所前 2017-5
・・・とそこへ「なんちゃって列車」がやって来ました。
回送中はいつもこう走るのでしょうか、客車から飛び出た巨大ビューゲルはちょっと異様ですね。
▲いずれも南堀端-市役所前 2017-5
元京都市電の2000形。
伊予鉄カラーが実に似合っています。
▲南堀端-市役所前 2017-5
新メンバーの2100形。
四角四面のこのスタイルは結構好みですが、ここまで思い切ったデザインというのはあまり例がありません。
▲南堀端 2017-5
お馴染みの場所ですが、メジャーなポイントへの志向はあまりないヒネクレ者の管理人、立ち寄ったのはこれが初めてでした。しばらく粘ってみるも、そう都合良く高浜線は来てくれません。
▲大手町 2017-5
・・・とここで枚数が行ってしまいました。
次回に続きます。
▲松前 2017-5
松山は街の規模と路面電車の路線網がうまくバランスしていると思います。西堀端~本町6丁目間を除けば、常に電車が視界に入る状態だし、単線の城北線や、鉄道線との交差などの見せ場もあります。
返信削除坊ちゃん列車のビューゲルは分岐部でトロリーコンタクターを作動させるためなので、それ以外の区間では降ろされているはずです。
「鉄路の向こう」はいつもタイトルが秀逸だなぁと感心してます。
返信削除とてもセンスがあると思います。
今回の「デンシャが元気な街」もなかなか良いですね。
個人的には「電車が通る」シリーズが好きです。
私の電車が元気な街、おすすめは富山ですね。
松山と似ていなくもないかなぁ
モハメイドペーパーさん
返信削除路線長と経由地のアンバイが丁度良かったのでしょうね。
大手町は「ド定番」過ぎて早々に退散してしまいましたが(みかん京王3000が何とも受け入れ難く)、単線区間は行きたかったです。この時は野暮用の合間合間に撮っていたので、数を稼ぐのを優先してしまいました。
なんちゃって坊ちゃん客車のビューゲル、そうだったのですか。
南堀端を過ぎて下ろす瞬間を見てみたかったですが、あの巨大なのが急にバタンと降りたりしたら何ともですね(笑)。
にぶろくさん
返信削除ありがとうございます!!
タイトルは一応一ひねりして付けていますが、松山の最初のイメージがまさにこれでしたので、何の芸もない直球勝負です。因みに「電車が通る」シリーズは郊外用の大型車が路面に乗入れる記事に使っていますが、こちらは手塚治虫作「三つ目がとおる」のパクリです(笑)。
広島・長崎以外で電車が元気な街というと、やはり私の一押しも富山です。街の規模というか雰囲気が松山に通じますね。