2022年3月16日

20系・1992年夏

▲DE111045 尾久客貨車区 1992-8

旧型電機や国電など撮りたい相手が数多あった国鉄時代が終わりを告げると、地域ごとにビミョーな塗装に化けていくデンシャが増え、段々とカメラを向けなくなっていきました。
しかしそんな中でも、客車列車を始め国鉄装束のまま残る列車も少なくなく、私鉄行脚のついでとはいえ機会を見つけては記録しています。

こちらは夏の帰省列車、寝台急行「おが」。
20系は定期運用から外された後も、長く盆暮れの臨時列車に駆り出されます。特急の象徴とも言うべき3本ラインは2本に減り、B寝台だけの寂しい編成になっていました。


▲上野 1992-8

この時は尾久客貨車を突撃訪問。
ダメ元で「これだけ撮らせてくれないか」と頼んでみると、以外にもOKが出ました。近くで見るとあちこちにツギハギが見え、かなりのお疲れモードであることが窺えます。



▲いずれも尾久客貨車区 1992-8

日暮里の常磐線ホームで次々に上ってくる列車をお手軽撮影。
少し待つと推進回送もやって来ます。新幹線開業後とはいえ、各方面への夜行列車はまだ結構な本数が残っていました。





▲いずれも日暮里 1992-8

こちらは東十条駅からほど近く。
まだ薄暗い中、6時を少し回ると主目的の「おが」がやって来ますが、ISO400ではシャッターが稼げずブレてしまいました。ここで長野からの急行「妙高」も押さえます。



▲いずれも尾久-赤羽 1992-8

同時期、東海道筋では臨時急行「雲仙」「玄海」が運行されていました。
品川発の「玄海」は、JR西の編成が「ホリデーパル塗装」なる奇抜なカラーになっており、初めて見たこちらは仰天です。


▲いずれも品川 1992-8 

お馴染みの東戸塚付近で、マトモな方の編成も。
この時は欲張って2台体制、しかし2枚目は見事にお顔に影がかかってしまいました。


▲いずれも横浜-戸塚 1992-8

同じ場所で特急や普通列車も押さえます。
ついでに撮っていた感ありのこれらも、今となっては正解でした。




▲いずれも横浜-戸塚 1992-8

一時代を築いた20系も、1980年秋の「あけぼの」を最後に定期特急の任務を解かれます。
その後も急行や臨時列車用として命脈を保つも、老体に鞭打つような痛々しさは拭えませんでした。そして帯が消され、A寝台も食堂車もない短い編成からは、特急時代の華々しさを窺い知ることは最早できませんでした。
▲品川 1992-8

4 件のコメント:

  1. やはりブルトレは20系ですね。
    それにしてもJR後の新塗装、趣味が悪いというか
    品格がないというか…
    国鉄色が人気なのは単にレトロだからではないと思います。

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  2. にぶろくさん

    国鉄塗装の人気、まさにその通りだと思います。
    長方形の車体にはやはり直線的な塗分けが合いますし、特に電機や特急車両などは単純だけどよく計算された色だと今更ながら感心してしまいます。

    翻ってJR、特に設立間もない頃は各社が個性を出そうと色々考えたのでしょうけど、何でもありのカオス状態でしたね。写真をめっきり撮らなくなったのも、これが最大の要因かもです。

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  3. 先週金曜日になりますが、天竜二俣駅構内に留置されているナハネ20347を見て参りました。
    https://imgur.com/2i29Pvy.jpg
    https://imgur.com/ovGxkzI.jpg
    定期的に修復行われているようですが、露天展示と車体の軽量構造ゆえ傷み出るのが早く思えます。
    希少なオンレールの20系客車、その姿を残していただきたいものです。

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  4. 12号線さん

    東西の鉄道博物館にナハネフとナシがありますが、やはり線路の上での保存の方に惹かれます。
    20系に限らずSLホテルやレストラン、カラオケ店転用は残念な結末を招くのが常ですが、保存会などの団体であれば希望は持てるかも知れませんね。

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