▲静岡鉄道秋葉線モハ6 遠州森町 1959年
縁あって手元に舞い込む昔日の記録は一期一会、大抵は一路線につき数コマ程度しかないのが常。しかし、古写真探しを長くやっていると、メジャーな路線でもないのに何度か出会う機会があり、静岡鉄道秋葉線(1962年9月廃止)もその一つでした。
現役時代は決して人気路線ではないですから記録も少なく、同じ袋井から発着する駿遠線に比べるべくもありません。にも拘らずゲテモノ電車好きな管理人に呼応してくれるのか、不思議な因縁を感じざるを得ませんでした。
▲切符も滅多にお目にかかれません
まずこちらは1962年春の記録です。
手作り感満載のモハ7は1926年製の木造単車を戦後改造して誕生。Yゲルを折り畳み式にし、それをくっ付けたような珍妙なパンタ、ブリル21E単台車をこれまた合体して造り出したオリジナルの足回り・・・と強烈な個性派電車でした。
山梨は中間では唯一の有人駅で、工場や変電所がありました。
▲山梨 1962-4
山梨の側線で休む単車のモハ1。
上のモハ7と同時期生まれで、こちらは清水静岡線からの転属組。二重屋根にYゲル装備と随分印象が違います。
フィルム原版は6×6判、オレンジベースになる前の最初期のネガで、元の色が何だったか分からない程に変色しています。黄色のシミやらカビ・キズやらで1日1枚の修復が限界でしたが、元のデータ量が大きいお蔭で縦横無尽のトリミングもへっちゃら、中判フィルムの面目躍如といったところでしょうか。
▲山梨 1962-4
モハ3+ハ3。
▲森川橋-遠州森町 1962-4
太田川を渡り終えると今度は広い田園を行く専用軌道に変わり、ほどなく終点の遠州森町に到着です。モハ6も「折り畳み式Yゲル合体パンタ」装備車で、こちらはブリルのボギー台車を履いていました。
遠州森町には狭いながら一通りの設備が揃い、秋葉線では最も駅らしい駅。
構内外れには留置線もあり、ゲテモノ電車が休む姿がありました。
・・・次回に続きます。
▲遠州森町 1959年
これは!新たに発掘されたのでしょうか?
返信削除3年前にはカラーは無かったと思いますが…
素晴らしい写真の数々ですが、
何か腕のいい考古学者やお宝ハンターみたいですね(笑)。
匿名になってしまい失礼しました。
返信削除秋田中央交通デワ3000、アプト式機関車転用の伊豆箱根ED11、ロッド式箱型機関車の津軽→東野DC201は、鉄道模型みたいな車両ですが、秋葉線の電車も模型で走らせたくなるスタイルですね。田園風景や民家の軒先を自在に走る小型電車は楽しそうですが、今となっては江ノ電や土佐電で我慢するしかなさそうです。
返信削除にぶろくさん
返信削除今回の記事に使用した記録は、変色や痛みなど劣化が激しくて長い間放置したままでした。
3年前のカットも今回のカラー・モノクロも別の機会に全くの偶然で出会ったもので、毎日古本屋やヤフーを覗いている訳ではありませんから、本当に不思議な縁を感じざるを得ません。同じ袋井から出ていた駿遠線などが1コマも持っていない訳ですから、やはりゲテモノ電車好きのパワーでしょう(笑)。
緑の猫さん
返信削除秋葉線も秋田中央も東野も超クセモノが田舎路線を練り歩く魅力満載路線でしたね。
現在こんな風景は望むべくもないですけど、土佐電の朝倉辺りの風景には今でもそそられます。ここには復刻塗装の200形が似合いますが、もっと増やして欲しいです。江ノ電の300にも惹かれますが、こちらは街並みが随分と小奇麗になってしまいましたね。
連投で失礼します。
返信削除先日、ツイッターで土佐電朝倉付近の動画がバズっていました。
鉄ちゃんでない人には今や併用軌道は
異次元の場所の様です(笑)。
https://twitter.com/X_584/status/1505093942848942083
にぶろくさん
返信削除馴れない余所者(自分もですが)から見ると併用軌道は新鮮に写るみたいですね。
狭い道ゆえ、こうした者が面白半分で車で押しかけ、事故になったり地元とトラブルにならないことを祈るばかりです。我々テツも褌を締め直してみないといけないですね。
朝倉付近は単線で軌道が道路中央ではなく
返信削除左車線に寄っているために
あんな状況が生まれるのですね。
SNSは過激に真似する馬鹿者もいるので
ちょっと心配です。
にぶろくさん
返信削除そうですね、自称Uチューバーに荒らされないと良いのですが。
私もここは2017年以来ご無沙汰しているので、再訪を狙っています。
ほかにセット訪問できる路線があれば良いのですが、伊予鉄も全部みかん電車だしJRはうーむな車両だしと、ちょっと躊躇してしまいます。