▲岳南鉄道ED501 比奈 2003-11
2001年秋、これでもかと通い詰めた名鉄揖斐・谷汲線が廃止されてしまうと、どこにも行く気がしなくなりました。いわゆる「ロス状態」というやつでしょうか、近場でチマチマ撮ることはあっても、どうにも気合が入りません。
デンシャや沿線風景に惹かれて足繁く通った路線・・・片上鉄道や野上電鉄、上信のデキ貨物、南部縦貫鉄道に新潟交通・・・次々に彼らが姿を消していく中、揖斐・谷汲線は「最後の砦」のような存在でした。その砦が陥落した訳ですから、脱力感はハンパではなかったのでしょう。
▲最後を迎えた2001年は「月2」ペースで通いました 谷汲線・長瀬 2001-1
そんな中、辛うじて「突っ支い棒」になっていたのが岳南鉄道の電機。
入換え専任ですから走る区間は短いし沿線は殺風景、しかし昭和初期生まれの電機が動く姿にはやはり惹かれました。
ロス状態から回復しつつあった2003年暮れのこと、この日も比奈駅のホーム端から構えていると、ED501が岳南原田方から静々と近付いてくるのが見えました。続いて本線牽引機のED402も単機で登場です。
▲いずれも比奈 2003-12
両機ともやっと近付いてきたかと思うと、直ぐに停車、このまま午後までお休みモードに入ります。こちらもコンビニお握りで腹拵えしながら、間近で観察することにしました。
13時を少し回り昼寝から覚めると、いよいよ本領発揮。
同じ所を行ったり来たりながら、モーターを唸らせ長い貨車を牽いて動き回る姿はやはり壮観です。本線を走って貰いたいところですが、こちらは2両のED40が死守していました。
本線任務を終えたED402も入換えに加わりました。
冬の長い陽が傾き始める頃、所定位置に機関車が停まったところで店仕舞いです。
▲いずれも比奈 2003-12
電機以外のもう一つの楽しみは、バラエティ豊かな切符。
毎回立ち寄る吉原本町には当時でも珍しかったJR連絡券が残り、版が変わるごとに様式もビミョーに変わるという懲りようでした。
▲吉原本町駅の「お得意様」の一人になりました
2001年秋だったか、ED501目当てに初めて訪問した時は入換用も本線もED40。
車庫の一番奥で鎮座する姿に出鼻を挫かれた経験から、以来本社に電話して確認するのが常になっていました。
「明日の比奈の入換え、ありますか」「はい、ありますよ」「入換え機はどっちですか」「501が動きますよ」「残念、402です」と親切に教えてくれる最後の時代でした。
▲比奈 2003-12