▲山陽電鉄705 須磨 1962-9
戦後の混乱期を支えた立役者、ロクサン。
自前の車両を地方に供出する見返りに、国鉄から配分を受けた経緯は既に記事にしましたが( →→ こちら)、今回は手元の古い記録からこちらをアップしてみます。
南海版ロクサンのモハ1501形は総勢20両。
製造途中から既に割当てが決まっていた経緯から、ガラベンや雨樋・室内灯・肋骨天井の内張りなどが南海バージョンへ変更された上で入線しています。当初はオデコ部分に社章が描かれていました。
岸ノ里を発着する当時の主役たちです。
阪和電鉄との熾烈な競争で鳴らした2001形や戦前形の代表格・1201形に加え、新鋭の丸ズームらが本線を疾駆していました。岸ノ里駅はこの後高架化や玉出駅との統合を経て、現在は跡形もなく変貌しています。
▲いずれも岸ノ里 1962-9
こちらは山陽版ロクサンの700形。
彼の登場によって、小型車ばかりだった山陽電車が大型化に向け躍進することになりました。唯一の標準軌ロクサンでしたが、ガニ股姿も全く違和感がありません。
▲いずれも須磨 上・中:1960-3 下:1962-9
引退後も倉庫として往年の姿を留めていた700形。中には台車を履いたままのヤツもいましたが、寸々の差で会うことは叶いませんでした。
▲いずれも東二見 1982-9
ところで南海と言えば、関西では最後まで硬券が残っていた路線。
片道乗車券から特急券までとにかく種類が豊富で、長年蒐集に励むも未だに全貌が掴めません。
▲社線内も他社連絡券もバラエティ豊か
▲優等列車もこれまた何種類あるのか
▲山陽の硬券は1960年代に消滅
南海のロクサンは形態の違いもさることながら、実はギア比が違うのです。600Vでモーターの回転数が約2割落ちるのを補うため、2.87ではなく高速用の2.56になっています。制御器もCS-5ではなく単位スイッチ式でした。
返信削除匿名さん
返信削除当初は急行に入ったり阪和線との競合もあったりで、速度の担保は外せなかったのでしょうね。アップ画像の頃は電装解除したクハ1951が相棒になっていますが、入線当初はクハがなく2001系や木造車と手を組んでいたと今回知りました。
南海モハ1501形の屋根は、ガラベンと水切り付きなのが珍しいですね。雨樋縦管と配管も車体に埋め込まれていて、国鉄よりもシンプルな食パン電車といった様子ですが、大柄な取付式尾灯が存在感があります。駅のホームと街並みも今よりもすっきりしていますね。
返信削除ロクサン形の前面の大きな通風孔は、雨漏りや車体腐食の原因になるので、各社で早々に塞がれましたが、山陽700形は結局最後までそのままだったのが面白いです。
緑の猫さん
返信削除一度も国鉄に入らず南海直行ですから、やはりテイストが違いますね。この尾灯や水切りはごつくて結構好みです。アップしたカットの背景に写り込んでいる家々はまだ戦後の匂いがしますが、この頃の西成はどんな街だったのか興味津々です。
鉄コレにもなりました山陽700、全金化工事は国鉄吹田工場のノウハウも取り入れたのでしょうか。
返信削除東二見では薄緑に塗られて元の63ボディと共に倉庫と化していましたが、5000系導入による整理で一斉撤去されてしまいました。
12号線さん
返信削除700形車庫、5000系登場時だと85年頃になくなってしまったのでしょうか。私は82年に東二見にお邪魔しましたが、あちこちに鎮座する姿に驚いたのを今でも憶えています。
当時は270形や320形など吊掛け車もまだまだ健在で、2000や3000などの「新性能車」には眼もくれなかったのを後悔しています。加えて当時は別府鉄道のついでの訪問でしたから、たった2時間でお仕舞いにしたという勿体ないことをしています。