▲京福電鉄デナ507 三宅八幡 1971-2
手元の古い記録から、今回はトロリーポール時代の叡電をお送りします。
京福電鉄からポールが消滅したのは嵐電が1975年、叡電が78年。ギリギリ間に合わなかった世代の管理人としては、何度臍を噛んだか分からない路線の一つです。
パンタ化を機に、電車たちは窓がHゴム化・サッシ化されたり車体が更新されたりと少しずつ変貌していき、初対面が叶った時には相当手が加えられていました。
▲ポール廃止の記念乗車券も発売された
▲普通切符は伝統の軟券
三宅八幡付近を軽快に飛ばすデナ507。
デナ500形は言うまでもなく元阪神861形で、管理人が最も好きなデンシャの一つです。
トロリーポールに楕円形の車番プレート、細面の車体に厳つい貫通幌。そして何より伝統のグリーン基調の塗装が実に良く似合っていて、阪神時代よりずっと男前に見えてしまうのはヒイキ目に過ぎるでしょうか。
▲いずれも宝ヶ池-三宅八幡 1971-2
三宅八幡駅の風景。
叡電の主力、デナ21形・121形も原型に近い美しい姿で走っていました。厚く着込み、肩をすぼめながら電車を待つ乗客の姿からは、洛北の厳しい冬が窺えます。
出町柳で発車を待つデナ507。
この位置からの風景は今とあまり変わっていないように見えますが、駅舎は全く別物になりました。
名物のポール回し。
その昔は全国の路面電車などで普通に見られる光景でしたが、この頃既に絶滅危惧種になっていました。まだトロリーホイールを使っていた時代で、1973年にスライダーシューに交換されています。
▲いずれも出町柳 1971-2
デナ500形と選手交代の形で引退したデナ1形。
▲いずれも修学院 撮影年月不明
ところで今回、眼に焼き付いたのは冒頭のカット、詰襟姿の運転士の凛とした姿でした。
これはポールと共に、京福の保守的な経営姿勢が制服にも出ていたと言われていますが、80年代から平凡なスーツ姿になりました。今復活させたら人気が出るような気もします。
デナ500形は、ブレーキ性能の関係で二軒茶屋から先に行くことができませんでした。
しかし、彼が市原や二ノ瀬辺りの、一面の紅葉を力行する姿を想像せずにはいられませんでした。