2024年6月16日

大阪の昭和デンシャを追う その9



 ▲京阪電鉄 大和田 2024-4

さて、明け方から散々歩き回った2日目も終盤戦。
南海6001編成に会えて燃え尽き症候群になったと思いきや、名店のとんかつ定食で見事生き返りました。いったん岸里玉出駅前まで戻ります。

訪れる日や時間帯によるのでしょうが、この駅はいつ来ても無闇にだだっ広く、森閑として誰もいない。一種独特の雰囲気があります。一大ターミナルの近くでこれだけ人口密度の低い駅というのも、あまり例がないでしょう。南海本線と高野線が分岐し終わった辺り、えらく離れた位置にホームがあるので、余所者はいつも迷ってしまいます。


▲この日もお世話になりました 2024-4 

さて、この後は予定通りこちらの商店街を目指します。
玉出口の改札を出ると目の前に「玉出本通商店街」のアーチがあり、広めの通りが延びていました。こちらは人通りも新しい店も多く、そこそこ活気があります。
▲玉出本通商店街 2024-4

しかし、枝分かれする玉二商店街はシャッターばかりが目立ちました。
店舗跡がスッポリ空地になっていたり、真新しいグループホームができていたりと、商店街としての役目は終えているように見えました。かつては2階に生活の場があり、ベランダから子どもらが顔を覗かせていたのでしょう。


▲いずれも玉二商店街 2024-4

今にも泣きそうな空模様ながら、明るいうちから安宿にしけ込む訳にはいきません。
しぶとく地下鉄を乗り継いで、次はこちらです。この何十年、支線の旧車以外は失敬してきた近鉄ですが、南大阪線をマトモに撮るのもこれが初めてでした。6020・6200系も早いものでは既に齢50年超、大所帯ですから簡単に世代交代とはいかないのでしょうが、驚異的な長命ではあります。

▲いずれも今川 2024-4

暗くなりまで粘り、これにて終了。この日も北浜の安宿に向かいます。

▲大阪阿部野橋 2024-4

明けて翌日は予報どおりの大雨。
流石にモチベーションは急降下ですが、このまま大人しく帰るのも癪で阪急電車を一覗きしてからにしました。
▲十三 2024-4

十三のホーム先端に陣取り、安直に雨宿りしながら構えます。
数を減らしている5100・5300形ですが、ラッシュ帯は結構な頻度で顔を見せました。



▲いずれも十三 2024-4

流石に長居はできず、早々に退散。
ついでの感ありながら、隣の駅で初めて降りてみました。

▲中津 2024-4

降りた目的は駅から徒歩5分の中津商店街。
住宅街の中にポツンと入口が立っていました。

戦災を免れた商店が残っているとの情報を得て行ってみましたが、おそらくこちらの(元?)花屋でしょうか。アーケードは骨組みだけを残して雨晒しで、時間帯のせいなのでしょうが開いている店も4つほど。しかし駅近のお蔭かリニューアル工事中の店もあり、「生きている商店街」という印象です。


▲いずれも中津商店街 2024-4

傘を持ちながらではこちらも長居できず、駅に戻ります。

もちろん有人駅だし乗降客はケタ違いながら、階段の袂にいると何となく鶴見線の国道駅に通じる雰囲気。デンシャの発着時だけ寸刻の喧騒が流れあとは静まり返る、その繰り返しが楽しくつい居座ってしまいました。ガード下には居酒屋や洋菓子屋がありますが、果たして営業しているのでしょうか。

▲いずれも中津 2024-4

昭和臭満点の商店街や街並みに入れ込んでいる証か、最終回は何だかデンシャ以外のカットばかりになってしまいました。

ごくありふれた風景として歯牙にもかけなかった、1960-70年代の電車も駅も回りも施設も、いつの間にやら半世紀超が経過。
「知らぬうちに消え失せてしまった」と後悔する愚を繰り返さない意味も込めて、最近は眼に止まったモノを片っ端から「これはモノクロにしたら絵になるかも」とシャッターを押す癖がついてきました。枚数など気にする必要のないデジタルの恩恵もあるのでしょうが、新しい電車や駅や街並みが薄っぺらで無機質で冷たいモノになった裏返しではないか・・・と思ったりします。


▲いずれも天見-紀見峠 2024-4

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