2021年6月23日

デンシャが元気な街 その1


▲伊予鉄道モハ2002ほか 県庁前-大街道 2017-5

松山には「元気な街」という印象があります。
仕事絡みで何度か訪問する縁があり、その度に軌道線やバスで市内を徘徊していますが、一種独特の息吹というかエネルギーのようなものを感じます。

一大観光地を控えて街自体に活気があるのは勿論ながら、何より路面電車がひっきりなしに行き交う光景がそれを際立たせているお蔭、というのはヒイキ目でしょうか。
▲大街道-勝山町 2017-5

初訪問は新米社会人だった1985年、奮発した特急「瀬戸」と宇高連絡船で初めて四国に渡った時のことでした。

メインは琴電ながら、この時は松山から宇和島、高知、徳島と周遊券をフルに使いぐるりと一周しています。しかし早回り旅ゆえ伊予鉄はたった数時間、終焉間近の100形らを古町車庫で記録して気が済んだのか、市内線はほんの一覗きすらせずにオシマイでした。


▲いずれも瓦町 1985-5


▲いずれも古町 1985-5

さてそれから幾星霜。
琴電をしつこく訪れることはあっても伊予鉄にはついぞ行かず仕舞い、鉄道線がビミョーな京王車に世代交代したことも拍車を掛けました。

マトモに市内線を乗り回したのは2017年5月、この時も野暮用仕事の道すがらのことでした。ちょうど電車達がCIカラー「みかん電車」に変貌するとの情報を得て、これは急がねばと焦っていた矢先。

30年振りですから張り切って前泊、フリー乗車券であちこち徘徊しながら主要メンバーを抑えるべく市駅前からスタートです。
▲モハ73 松山市駅前 2017-5

まずは4路線が行き交う南堀端電停で構えることにしました。
電車のバラエティは豊かながら、在来種の形式は全て50形に統一されています。

管理人的に最も惹かれる最古参の1951年製グループ(51-53)は、都電6000形や土佐電200形と同系。大人しいスタイルで特徴はありませんが、デビューから60年経ってなお矍鑠としています。まだみかん電車に変身したメンバーはいないようでした。







モノコック車体の最終グループ(70-78)はみかん率50%といったところでしょうか。

▲いずれも南堀端-市役所前 2017-5

・・・とそこへ「なんちゃって列車」がやって来ました。
回送中はいつもこう走るのでしょうか、客車から飛び出た巨大ビューゲルはちょっと異様ですね。

▲いずれも南堀端-市役所前 2017-5

元京都市電の2000形。
伊予鉄カラーが実に似合っています。
▲南堀端-市役所前 2017-5

新メンバーの2100形。
四角四面のこのスタイルは結構好みですが、ここまで思い切ったデザインというのはあまり例がありません。


▲南堀端 2017-5

お馴染みの場所ですが、メジャーなポイントへの志向はあまりないヒネクレ者の管理人、立ち寄ったのはこれが初めてでした。しばらく粘ってみるも、そう都合良く高浜線は来てくれません。
▲大手町 2017-5

・・・とここで枚数が行ってしまいました。
次回に続きます。
▲松前 2017-5

2021年6月13日

奇々怪々・木造デンシャ その3

 ▲近江鉄道モハ2 高宮-尼子 2000-8 

近江鉄道の車歴を詳らかに解説した資料は50年以上前の「私鉄車両めぐり」、あとは社史くらいしか思い浮かびませんが、遥か昔の木造デンシャの経歴など、誰も関心を持たない分野なのかも知れません。

それはともかく、本来は地味で泥臭い車両趣味、最近は「単純で・軽く・お洒落で感覚的な方向」に傾いているような気もします。しかしかく言う管理人も、昔の記録を画像ソフトで加工し、SNSにアップして遊んだりしている訳ですから、あまり悪くも言えないのですが。


▲今回の「参考書」。小数派の奇車・珍車まで取り上げており、まるで車両小図鑑

さて、最後は最もアクの強いクハ1201形を紹介してみます。
先ずはこちら、今回の記事のきっかけになったクハ1208。

元は明治のマッチ箱客車二両分の台枠を合体、そこに木製新造車体を載せて1913年に誕生したフホハユニ30というボギー客車でした。1956年、(旧)西武鉄道が導入したモハ500形の車体に載せ替えた後の姿がこのカットで、当初からシングルルーフでした。


▲彦根 1960-4




▲こちらがフホハユニの時代。似ても似つかぬ姿です

しかしお気づきでしょうか、元明治の客車にしては奇妙な台車を履いています。
これは車体載せ替えに併せ、やはり西武から融通して貰った台車(汽車会社BW-54-18L)に
換装したためで、元は高野山電気鉄道(→南海)開業時のものとか。

それから僅か4年後、このカットが撮られて間もない頃ですが、今度は西武クハ1211形の車体に換装、台枠は新調され、台車も国鉄お古のTR11に替わりました。
この時点で明治から引き継いだ部品は全て消失、以降は車籍だけが連綿と続くことになります。


▲彦根 1960-4

仲間のクハ1205・1206は一足先にクハ1211形へのお色直しが完了。
再び500形に化けるまで、当線としては珍しく10年以上同じ姿を保つことになりました。



▲いずれも彦根 1960-4

ところで西武211・1211形と言えば、流山・新潟・蒲原など各地に散った武蔵野初の半鋼製車。管理人も何度か眼にできた馴染みのあるデンシャですが、特に蒲原のモハ71は廃線時まで現役でしたから、このスタイルには親しみを覚えます。

頑丈で使い勝手が良かったのか、上のクハ1208も同様の風体になった後、相方のモハ9と共に長く活躍することになりました。



▲いずれも村松 上:1990-9 下:1984-11

クハ1207の前歴も元明治の客車、フホハ29。
1208と似たような経緯を辿り、台車も同じのを履いています。

しかしこちらは1962年の鋼体化の際、これも西武経由で入手した上信電鉄クハニ21の車体
(←豊川鉄道モハ21)に載せ替えられており、1両だけ毛色の違うデンシャになりました。
1981年に廃車となりますが、車籍は500形に引き継がれます。




クハ1209は前歴のフホハユニ31から引き継いだ「ミニTR11」台車をそのまま使っています。

▲いずれも彦根 1960-4

・・・以上でオシマイです。
まさに千錯万綜としか言いようのない車歴迷宮、いかがでしたでしょうか。

今回は手元に記録が残る一部のデンシャだけの紹介でしたが、当然これら以外も同じ巨大迷路のような経歴が影のように付いて回ります。

全くの新造車扱いは旧西武401系の820系だけ。
残りは遥か明治・大正時代の大先輩から脈々と継承、しかも形式が枝分かれするわ、同一形式の2代目とかも出現するわですから、気も遠くなろうというものですね。

最後まで読んで頂いた方々、ありがとうございました&お疲れ様でした(笑)。

▲こちらは小田急1600形車体の「2代目」クハ1201形 米原 1984-7

▲高宮 2000-8

2021年6月5日

奇々怪々・木造デンシャ その2

 ▲近江鉄道クハ1208 彦根 1960-4 

近江鉄道には独創的な町工場のような心意気、というか文化があり、その姿勢は静岡鉄道や越後交通に通ずるものがありました。

早くも1930年代から改造に改造を繰り返し、徐々にノウハウが積み上がってくると、1961年からは各方面からかき集めた部品に自社製の車体を載せ、新車を造ってしまいます。脈々と続く車歴も、そうした姿勢の副産物なのでしょう。



▲近江と言えば電機のバラエティも外せません いずれも彦根 1984-7

さて近江の車歴ラビリンス、続いてはモハ131形の経歴を辿ってみます。
終戦後、極端な車両逼迫を打開すべく、新生・西武鉄道から中古車を融通してもらったのが
131形で、元は武蔵野鉄道初の電車・デハ100形の一派でした。
▲勿論駅舎も外せません 新八日市 2000-8

しかし戦後のドタバタも落ち着き、東海道線全線電化に伴う観光客増もあってか、木造車のままでは格好悪いと1961年から湘南形車体を新造開始、ここから自社製品が台頭し始めます。

モハ131と132は終戦後西武から借り受け、1950年にそのまま当線に定住。当初ダブルルーフだったのを自社で改造、その結果異様に深いシングル屋根になりました。


▲いずれも彦根 1960-4

モハ134+クハ1217コンビも元は武蔵野デハ100形一族ながら、この頃は同社の傑作・元クロスシート車デハ5560形車体に載せ替えられています。全鋼製ながら、しかしやはり老体だったようで、あまり活躍しないまま干されてしまいます。

この後、1969年には500形トップナンバー編成に再改造されました。




▲いずれも彦根 1960-4

こちらは500形変身後の末期姿。
台車も振替えられて、台枠以外はほぼ完全な新車になっていました。


▲武佐-近江八幡 2000-8

さて最後に複雑怪奇の極地、クハを辿ってみたいと思いますが、「お腹一杯」の方も多いでしょうから、経緯が単純なこの2両だけにして、残りは次回にしましょう。

クハ1214形も武蔵野デハ100形の一派。
こちらも戦後の混乱期に西武から融通してもらった訳ですが、上のモハ131形同様にモニタ屋根をシングルに改造、その後1961年に湘南形車体に生まれ変わります。



▲いずれも彦根 1960-4

次回は(やっと)最終回、ここで紹介できなかった残りの「怪物」クハ1201形の経緯を
追ってみたいと思います。お楽しみに(誰が?)。


▲ムードのあった終点・米原 1984-7


▲高宮にも古い駅舎や施設がありました 2000-8