▲福井鉄道モハ200形 三十八社 1996-10
1996年秋のこと、何を思い立ったのか昼過ぎから下り新幹線に乗車。
世は取り憑かれたようなバブルが終焉を告げ、迫りくる金融危機に戦々恐々としていた頃で、仕事で何かあったのか。前年に阪神・淡路大震災に地下鉄サリン事件と暗い事件が続き、沈鬱な空気に支配されてもいました。
しかし、バブルの恩恵が何もない代わりに副作用にも罹らなかったお気楽管理人にとってはそれも彼岸の出来事、どうやら仕事の詰まらぬイザコザのストレス解消程度だったのでしょう。
さて、出発が遅いですから、福井に着く頃にはもう陽が傾いています。
先ずは大好きな京福永平寺線から表敬訪問、終点から線路際を歩いていきます。新幹線の車窓から恨めしく眺めていた雨も上がり、本日の単行当番・阪神車を待ち構えました。
▲市野々-永平寺 1996-10
永平寺で折り返し待ちのモハ1101。
この頃はモハ251・252コンビと阪神車が交代で運用に入ることになっていました。
▲永平寺 1996-10
市野々は何度も降りた馴染み深い駅です。ここで日が暮れるまで粘ることにしました。
▲市野々 1996-10
コスモスを強引にフレームに入れてみましたが、降り続いた雨のお蔭で花が頭を垂れてしまい、ちょっとうーむな出来に。この日はこれだけでタイムアップ、福井の安宿へ引き揚げます。
▲いずれも京善-市野々 1996-10
明けて翌日は絵に描いたような秋晴れ、今回のメイン・福井鉄道へ。
前年夏、広々とした田園風景に惹かれて撮り歩いた三十八社で今回も下車してみます。
この日の課題は、朝しか出番のない140形。
上のカットから少し武生新寄りに歩いた場所で。
路面区間をノロノロと我物顔で行くシーンも痛快ですが、そこから解放されてすっ飛ばす豹変ぶりにもまた惹かれます。
▲いずれも鳥羽中-三十八社 1996-10
この頃急行は静鉄の300形、各停はかつての花形・200形という布陣が定着。
一時期ド派手な全面広告ばかりになった200形も、スタンダードに戻っていました。
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