2022年11月13日

野上線挽歌~北山あたり


▲野上電鉄デ11 野上中 1992-8 

1992年の夏のこと、西へ向かうのに定番となった急行「銀河」をこの日も奮発。
スタートの名鉄揖斐線では想定外のモ510形競演に快哉を叫んだと思いきや、続く叡山電鉄では車内でレンズを落としてフィルターが粉砕、僥倖と電撃ショックが矢継早に訪れる波乱の撮影行となりました。

落下したレンズは何とか作動、不安を抱えつつ次はメインの野上電車です。
和歌山の安ホテルで投宿した翌朝は、晩夏らしい空を満喫しながら北山付近を徘徊することにしました。

揖斐線 夏のスケッチ →→ その1 / その2 / その3


▲いずれも野上中-北山 1992-8

早朝2連の任務が終わってしまうと、あとは2両の単行が行ったり来たり。
単行はデ10形専従が長く続きましたが、この頃からモハ25や27が入ることが多くなっていました。


▲いずれも野上中-北山 1992-8

田圃の中にポツンと立つ野上中駅。
無人ながら、小さい駅舎が最後まで残っていました。

▲いずれも野上中 1992-8

こちらも元有人駅の北山。
野上中-北山間は僅か700mですが数少ない左右が開けた区間で、歩き回りながらアングルの選択する楽しさがありました。
▲いずれも北山 1992-8

北山は元交換駅で対向ホームもそのまま残っています。
しかし左側の線路は保守がなされていないようで使用不能でした。時折「ト」がポツンと停まっている姿が見られました。



▲いずれも北山 1992-8

通学生と一緒にチョコボール電車のモハ24に乗車、これで帰途に就きます。立ち客が出るのは朝夕のほんの一時だけでした。
▲モハ24車内 1992-8

1992年という年はアドレナリンの過剰分泌でもあったのか、自分でも信じられない頻度で撮影行に励んだ1年でした。平日しか動かない上信デキだけで6回通ったのに加え、北は津軽鉄道から南は三井三池まで、プラス日帰りで近場にも片っ端から出掛けるご乱行。

そんな中、この日も終電まで粘って夜景撮影を堪能した挙句、翌朝は始発から行動開始という狼藉ぶりでした。

この頃は仕事も私生活も決してヒマではなく、まだ子らは小さいし労働時間は過労死ラインを優に超過。そうした状況下でこの所業とは、制約が高ければ高いほど鉄分への渇望もまた高かった、ということなのでしょう。尤もこの翌年、やはり無理が祟ったのか突然バッタリと倒れてしまい、鉄活動もしばらく休止状態になるのですが。

▲北山 1992-8

▲野上中 1992-8

2 件のコメント:

  1. あのチョコボール電車は、カラーで撮ると目立ちましたね。

    閑話休題。14枚目の白黒写真に目が止まりました。
    と言ってもJKの方ではなく、車掌さんが車内券を発券している姿です。
    野上線では鉄ヲタに厳しいので、車内券の趣味発券は頼みにくかったよなぁという思い出が浮かびんできました。

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  2. maru-haどの

    1990年秋、雑誌であのチョコボール電車を見たときの衝撃は未だに忘れません!ショックの余りそれから3日3晩眠れませんでした。
    それは兎も角、末期の野上は荒んではいましたが、私はごくフツーに発券して貰いました。車掌さんも人の子、やはり相手を見たのでしょう^_^

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