2021年10月6日

四季の谷汲線・盛夏(2)

▲名古屋鉄道モ754 北野畑 1995-8

1995年の夏休みは特急「北陸」を奮発し、昇圧直前の北鉄浅野川線を皮切りに京福電鉄や福井鉄道も立て続けに訪問、福鉄モハ161の走行シーンなど懸案をいくつか消化しました。せっかくの休みですからこのまま大人しく帰るハズもなく、汗まみれの風体で谷汲詣でに向かうことにしました。


この時はフェーン現象のせいか凄まじい暑さ、陽が高いうちから福井鉄道を早々に切り上げてローカル列車でノンビリと北陸線を上ります。

大垣の安宿に投宿した翌日は樽見鉄道初乗車からスタート。山里の風情が好ましい木知原でレールバスを見送り、根尾川を挟んだ向こう側の谷汲線に向かいました。


▲木知原 1995-8

20分ほど歩いて、川向こうの赤石駅へ。
根尾川は朝早くから釣り人や川遊びの客らで賑やかでした。


▲いずれも北野畑-赤石 1995-8

朝の列車交換は既に終わっていますが、北野畑まで歩いてタブレット風景を狙うことにしました。初めてここに立った頃にはなかった後ろのプレハブが何とも残念で、モノクロに切り替えて目立たぬように・・・とやっぱり目立ちます。
▲北野畑 1995-8

この頃は駅員さんが常時詰めていた北野畑も、1998年春のダイヤ改正後は谷汲さん命日や行楽シーズンを除いて無人になりました。木の架線柱の林立も、この後暫くして半分がコンクリートに替わりました。

モ754は谷汲線廃止まで残った3両のうちの1両。
張り替えたばかりと思しき屋根のキャンバス、ちょっと違和感ありです。

▲いずれも北野畑 1995-8

この後は北野畑から長瀬まで乗車。
長瀬付近は四季折々に違った表情を見せるお気に入りの場所で、廃線の日まで数え切れないほど徘徊することになりましたが、現在はどうなっているでしょうか。



▲いずれも赤石-長瀬 1995-8

ここから谷汲まで歩き、駅前の喫茶店でようやく小休止。
沿線には腹拵えができる場所、というより人家も余りないですから、うっかりすると食いっぱぐれてしまいます。

小汚い格好でも気軽に入れる店は、長瀬と谷汲駅前に喫茶店が1軒ずつ、駅間に蕎麦屋とよろず屋のようなコンビニが1軒ずつ、赤石駅前に鮎料理の店があるが入れる雰囲気ではない、他の駅はゼロ・・・何度も通っているうちに、ここら辺の地理に妙に詳しくなってしまいました。


▲谷汲 1995-8 

人心地ついた後は、ここから一駅戻ります。
この辺りは、山深い風景をしばらく走ったかと思うと放り出されたように田園風景に豹変する、乗っても楽しい区間でした。


▲いずれも長瀬-谷汲 1995-8

さて、2両のモが行ったり来たりに飽き始めたのに加えてこの酷暑、まだ陽は高いですが引き揚げることにします。

帰りがけの駄賃といったら贅沢ですが、下方で下車。
モ770形に押されて縄張りが小さくなった在来車も、朝夕を中心にまだまだ元気でした。

▲政田-下方 1995-8

辺りが薄暗くなってきた頃、数少ないモ510形定期運用の一つだった夕方便に乗って帰途に就くことにします。長い夏の一日が終わりました。
▲政田 1995-8

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▲北野畑 1995-8

2 件のコメント:

  1. 名鉄電車の赤色は新緑~初夏の緑色が映えますね。
    この頃ですとポジはベルビアを使っているのでしょうか。影は真っ黒になりがちですがデジカメとは違った趣でこっちの方が好きです。

    追伸
    7枚目の写真は惜しいですね。通票が電柱に隠れてしまっちゃいましたね。

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  2. maru-haどの

    タブレット授受のシーンを全部入れようとすると後ろの超目障りなプレハブが入るし、本線に立ち入ってしまうのでこれで妥協したような記憶があります。この頃のフィルムはベルビアかプロビアを使っていましたが、データ化と相性が悪いのか色のアンバイを補正するのに苦労しました。粒状性や色表現はKRに断然分があり、コダックの底力を改めて感じます。

    あとどうでも良い話ですが、この頃の定番食事パターンは「朝:名古屋駅きしめん→昼:谷汲駅前の味噌カツ定食→夜:コンビニ弁当を持って黒野のビジネスホテル」でした。

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